村上春樹と小確幸
生きているなかでの幸せや意味とは何か、ということにはなかなか答えが見つかりません。
でも、そんなに壮大な夢だけでなく、身近なものに幸せを見出すということも、生きていることを支える大事な柱になるのではないでしょうか。
そんな風に「小さくても確かな幸せ」を意味する言葉として、小説家の村上春樹さんが考案し、エッセイのなかで書いていた「小確幸」(「しょうかっこう」と読みます)があります。
生活の中に個人的な『小確幸』(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。
たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきり冷えたビールみたいなもので、『うーん、そうだ、これだ』と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても『小確幸』の醍醐味である。
そしてそういった『小確幸』のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕は思うのだけれど。
出典 : 村上春樹『うずまき猫のみつけかた』
日々の生活のなかで小確幸を一つ一つ大事にしながら生きていくことによって、かすかすの砂漠のような世界が彩りを持つようになる。
たとえばそれは、「我慢して激しく運動した後に飲むきりきり冷えたビールみたいなもの」であり、思わず自分のなかでぐっとかみしめてしまうような生きている実感とも言えるかもしれません。
この小確幸を深く味わうためには、運動をすると言った、ある種の自己規制のようなものが必要とされると村上さんは言います。
もちろん、こんな風にあえて自分を律して、何か頑張った分のご褒美として、小さくても確かな幸せを自分に与えてあげるというのもあるでしょうし、すでに忙しい日常の深呼吸として、川沿いでぼんやりしたり、釣りをしたり、カフェや美術館を巡ったりと、人それぞれの小さくても確かな幸せがあるでしょう。
この言葉は、韓国でも流行し、韓国語では「소확행(ソファッケン)」と言うようです。
幸福や生きがい、生きている実感の問題といった、時代的な共通の背景もあるのでしょう。
自分にとっての小確幸について考えてみるということそのものが、幸せとは何か、ということへの道なのかもしれません。
