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日本古典文学

平家物語の冒頭

平家物語の冒頭

〈原文〉

祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹さらそうじゅの花の色、盛者必衰じょうしゃひっすいことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

〈現代語訳〉

祇園精舎の鐘の音には、この世の全てが常に流動変化し、一瞬と言えども同じ状態ではない、という無常の響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな物も必ずや衰えるという道理を示している。驕り高ぶる者も長くは続かず、凋落ちょうらくするだろう、ただ春の夜の夢のように。勢い盛んな者も遂には滅びるというのも、まったく風の前のちりと同じである。

概要と解説

奈良絵本『平家物語』 江戸時代前期

日本の古典文学を代表する『平家物語』は、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などを描いた軍記物語です。

詳しい制作年は分かっていないものの、鎌倉時代の前期に成立したと考えられています。

作者も不明で、色々な説があり、最古の記述としては、鎌倉末期の吉田兼好の『徒然草』のなかで、信濃前司行長しなののぜんじゆきながなる人物が、『平家物語』の作者であるという記載があります。

平家物語の作者平家物語の作者 日本を代表する古典の『平家物語』は、鎌倉時代に成立した軍記物語で、平家の凋落と、新しい武士階級の台頭や人間模様を描いた...

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

この『平家物語』の冒頭も、日本の古典文学のなかで、もっとも有名な一節の一つで、仏教的な無常観が表現されています。

祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹さらそうじゅの花の色、盛者必衰じょうしゃひっすいことわりをあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

出典 : 『平家物語』

この冒頭の原文を、現代語訳すれば、「祇園精舎の鐘の音には、この世の全てが常に流動変化し、一瞬と言えども同じ状態ではない、という無常の響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな物も必ずや衰えるという道理を示している。驕り高ぶる者も長くは続かず、凋落するだろう、ただ春の夜の夢のように。勢い盛んな者も遂には滅びるというのも、まったく風の前の塵と同じである。」という意味になります。

以下、『平家物語』の冒頭について、一つ一つの文章や単語を追いかけながら、簡単に解説したいと思います。

まず、冒頭文に出てくる「祇園精舎」ですが、正式名称は、祇樹給孤独園精舎ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃという精舎です。

精舎とは、仏教の比丘びく(出家修行者)が住まう修道施設、寺院、僧院のことです。

それでは、祇園精舎は、一体どこにあるのでしょうか。

祇園という響きから、京都のことだと思う人もいるかもしれませんが、祇園精舎は、もともと古代インドの舎衛しゃえ国にある僧院で、須達しゅだつという当時の長者ちょうじゃ(富豪であり、徳を備えた者)が、仏陀ブッダに帰依した際、仏陀とその教団のために建設したものです。

仏陀の説法も行われるなど、祇園精舎は、仏教徒の聖地の一つとして考えられています。

画像 : 祇園精舎|wikipedia

この祇園精舎の鐘の音が、万物は常に変化し、移り変わってゆく、すなわち「諸行無常」の響きである、という一節によって、『平家物語』は始まります。

この鐘が、一体どういった鐘だったか、それとも実際はなかったのか、というのは諸説あります。

小型の鐘はあったのではないか、という話もありますが、一般的に寺院でイメージするような大きな鐘はなかったと考えられています。

そのため、「祇園精舎の鐘の声」というのが、どんな音だったのか、少なくとも除夜の鐘のような、「ゴーン」というものではなかったのでしょう。

小型の鐘と言うと、祇園精舎には、死期の近づいた僧が移る無常堂という御堂があり、この四隅にガラスまたは水晶の鐘が吊るされていた、という話があります。

祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響きあり」

平家へいけ物語』の語り出しの有名な一句です。

インドの祇園精舎には無常堂があり、その四隅ののきにさげられている鐘は、修行僧が命を終わろうとするとき「諸行無常」の四句のを響かせ、僧を極楽浄土へ導いたといいます。

このように、諸行無常は人生のはかなさ、生命のもろさ、そしてときには死を意味する言葉として、日本人になじみの深い語句となっています。

出典 : 仏教語豆辞典

祇園精舎の鐘の声が、諸行無常の響きである、というのは、こういった意味合いがあったのかもしれません。

次に、続く「沙羅双樹」とは、インドの高地に自生する、フタバガキ科の落葉性高木で、初夏には白い花を咲かせる植物のことです。

仏教の世界では、仏陀が生まれた地にあった無憂樹むゆうじゅ、仏陀が悟りを開いた場所にあった印度菩提樹いんどぼだいじゅと並び、この沙羅双樹が、三大聖木の一つに数えられます。

沙羅双樹には、仏陀との深い逸話があります。

仏陀が入滅(死去)するとき、四辺にあった沙羅の木が花を咲かせ、まもなく枯れると、白く変化し、その様子が、まるでつるが群れをなして留まっているように見えたそうです

この沙羅双樹の花の色というのが、世の中のあらゆることは無常であり、勢いの盛んな者も必ずや衰える、という道理を現している、とあります。

朝咲いて夕方には散る沙羅双樹

また、「おごれる人も久しからず」とは、自分の地位や権力に驕り高ぶった人も、永遠に続くことはない、という意味です。

この「久しからず」とは、「久しい(月日が長く経つ)」の否定形で、「長くは続かない」という意味になります。

それから、「たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ」、すなわち、「勢い盛んな激しい者も遂には滅び、それは全く風の前の塵と同じである」と続きます。

どんなに勢いのある者たちでさえも、いずれは滅びる。

こうして『平家物語』は冒頭で、全体としての大きな主題である無常観を、読み手の五感に触れるような詩的な描写で表現しています。

英語訳

それでは、この『平家物語』の冒頭の文章を、英語に翻訳した場合、一体どういった表現になるのでしょうか。

翻訳家で詩人のピーター・J・マクミラン氏が英語翻訳した、『平家物語』の冒頭文は以下の通りになります。

The sound of the bells of Gion Monastery echo with the ever – changing nature of all things.

The fading hues on the blossoms of the sala tree signify that all that flourishes must fade.

The arrogant do not prevail for long, nothing but a spring night’s dream. The mighty in time succumb, dust before the wind.

出典 : ピーター・J・マクミラン『日本の古典を英語で読む』

最初の一文にある「無常」は、英語で「ever – changing(絶え間なく変化する)」という言葉を使って表現されています。

また、「おごれる人は久しからず」という部分は、「The arrogant do not prevail for long」と翻訳されています。

これは、「傲慢な者が長いあいだ勝つということはない」といった意味合いになるでしょう。

ちなみに、『平家物語』の英語版の題名は、そのまま直訳で、『The Tale of the Heike』となっています。

英語版『平家物語』のなかでは、本編から10の話を取り出し、易しい英語で翻訳した、ベンジャミン・ウッドワード編著『英語で読む平家物語』があります。

本には、付録として朗読CDがつき、はっきりした発音でゆっくり読まれるので、リスニングの勉強以外に、英語のオーディオブックとしても楽しむことができます。