在原業平〜世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし〜意味と解釈
〈原文〉
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
〈現代語訳〉
もし世の中にはまったく桜がなかったなら、春の心はのどかだっただろうに……。
概要
作者の在原業平は、天長2年(825年)に生まれ、元慶4年(880年)に死没する、平安時代初期から前期の貴族、歌人です。
在原業平は、平城天皇の皇子阿保親王の五男であり、在原行平の弟になります。
また、六歌仙、三十六歌仙(他に、柿本人麻呂、山部赤人、大伴家持、小野小町など)のひとりで、平安時代を代表する歌人として有名で、美男子としても知られています。
平安時代前期の勅撰和歌集『古今和歌集』では、約30首の和歌が選ばれ、『伊勢物語』では主人公のモデルと考えられています。
この「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という業平の歌は、渚の院という惟喬親王の別荘で開かれた花見の際に作られた作品であることが『伊勢物語』に記されています(『古今和歌集』にも収録)。
現代語訳すれば、「もし世の中にまったく桜がなかったなら、桜の花が咲くのを待ち望んだり、散っていくことを悲しんだりすることもなく、春のひとの心はもっとのどかだっただろうに……」といった意味になります。
歌中の「たえて」というのは「全く、全然」を意味し、「なかりせば」は「もしなかったなら」を意味します。
この「せば…….まし」というのは反実仮想の表現で、実際とは異なることを想像し、語るものです。
春というのは、冬が終わり、ぽかぽかと陽気に包まれ、本来ならのどかに過ごせるはずの季節。
しかし、人々は、桜が咲くのを待ち望んだり、桜の花びらが散っていくのを悲しみ、心は一向に落ち着きません。
もし桜さえなかったら、もっと春の心はのどかだったのに、という逆説的な表現で、それほど心をざわつかせる桜の悩ましくも魅力的な様を歌っています。
この在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」を受け、詠んだ和歌として『伊勢物語』では次の歌が描かれています(作者は不詳)。
散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき
現代語訳すれば、「桜は散るからこそいっそうすばらしいのでしょう、このつらい世の中でいつまでも変わらずにいるものなど何があるでしょうか(いやありません)」となります。