夏目漱石の名前の由来
小説『こころ』『坊っちゃん』『吾輩は猫である』などが有名な日本を代表する作家で、明治の文豪の夏目漱石。
教科書でもお馴染みで、以前は紙幣にも載っていたたことから、文学に興味がない人も含めてほとんど誰もが知っている国民的な作家と言えるでしょう。
夏目漱石は、1867年生まれで、現在の東京都新宿区出身です。江戸から明治へ、という時代もあり、家庭環境も混乱、転校も繰り返すなど、大変な幼少期だったようです。
母親が高齢出産だったこと、漱石誕生の翌年に江戸が崩壊し夏目家が没落しつつあったことなどから、漱石は幼少期に数奇な運命をたどる。生後4ヶ月で四谷の古具屋(八百屋という説も)に里子に出され、更に1歳の時に父親の友人であった塩原家に養子に出される。その後も、9歳の時に塩原夫妻が離婚したため正家へ戻るが、実父と養父の対立により夏目家への復籍は21歳まで遅れる。
漱石は、家庭環境の混乱からか、学生生活も転校を繰り返す。小学校をたびたび変え、12歳の時に東京府第一中学校に入学するが、漢学を志すため2年後中学校を中退、二松学舎へ入学。しかし、2ヶ月で中退。その2年後、大学予備門の受験には英語が必須であったため神田駿河台の英学塾成立学舎へ入り、頭角をあらわしていく。
家庭環境も学校も、めまぐるしい変化のなかで、漱石は少年時代を過ごしています。
その後、大学時代の同窓生として出会った、俳人の正岡子規との縁が、のちの漱石の作家人生に多大な影響を与えることになります。
二人の関係は親友と言っていいほど深いもので、文学的、人間的に影響を受けただけでなく、「夏目漱石」という名前に、正岡子規が関わっていたとも言われています。
そもそも、「夏目漱石」という名前は、本名ではなくペンネームです。
漱石の本名は、夏目金之助と言い、この「夏目漱石」というペンネームとの関連が指摘されるのが正岡子規です。
子規は、数多くのペンネームを持っていたのですが、その一つに、もともと「漱石」もあったようです。
この「漱石」という熟語は、中国の古い故事である「漱石枕流」に由来する言葉で、意味は、「負け惜しみの強いこと」「ひどく無理矢理なこじつけのこと」「頑固者」です。
それでは、「漱石枕流」とは、どういった故事だったのでしょうか。
中国西晋の孫楚は「石に枕し流れに漱(くちすす)ぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかした故事から。
昔、隠居をしたいと思っていた孫楚という人物が、友人に、「これからは、石に枕し流れに漱ぐ人生を送る」と言おうとして間違え、「石に漱ぎ流れに枕する」と言ったことに対し、誤りを指摘されると、ごちゃごちゃと誤魔化して言い逃れをした、というわけです。
分かりやすく言えば、「間違えを認めずに負け惜しみを言った」という故事です。
この話から、「負け惜しみの強いこと」「頑固者」「こじつけがうまいこと」といった意味になります。
そして、この故事に由来し、正岡子規のペンネームの一つでもあった「漱石」を、夏目漱石が22歳の頃から使うようになります。
漱石本人は、過去に正岡子規が使っていたことを当初知らなかったようですが、のちに譲り受けたと言われています。自分自身、偏屈で頑固者と自覚していたからでしょうか、漱石が気に入って使用するようになったようです。
この名前の件に関して、夏目漱石と正岡子規のあいだで、どの程度の直接的なやりとりがあったのかは分かりません。
子規が、自分の昔使っていた名前の一つであった「漱石」を思い出し、「漱石はどうかな」と夏目漱石に提案したのでしょうか。
漱石が気に入って選んだ、また、正岡子規が名付け親だった、という意見もあるようですが、果たしてどれくらいの影響だったのでしょう。
ちなみに、夏目漱石の本名である「金之助」という名前の由来に関しては、古い言い伝えが関わっていたそうです。
夏目漱石が生まれた日というのが、干支に当てはめると庚申の日。
この日に生まれた子供は、大出世するかもしれないが、一歩間違えると大泥棒になると言われ、その難を避けるためには、名前に「金」という字を入れたほうがいい、という言い伝えから、両親が「金」という文字を名前に入れ、「金之助」としたそうです。
実際には、漱石は、もちろん大泥棒になることはなく、大出世を果たし、死後には、その名前の通り、お金の1000円札紙幣に肖像が描かれることにもなります。
以上、夏目漱石の名前の由来でした。