和歌・短歌

藤原定家〜春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空〜意味と解釈

藤原定家〜春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空〜意味と解釈

〈原文〉

春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空

〈現代語訳〉

春の夜の浮き橋のように儚い夢から覚めると、山の峰で横雲が分かれて離れ離れになっている明け方の空よ。

概要

作者の藤原定家ふじわらのていかは、平安時代末期から鎌倉時代初期の代表的な歌人で、『新古今和歌集』の撰者の一人でもあります。

藤原定家が生まれた年は、応保おうほう2年(1162年)で、仁治にんじ2年(1241年)に亡くなります。

藤原定家の肖像画

和歌のうち、もっとも得意なものが恋歌で、弟子には、恋歌の創作について「恋の歌をよむには凡骨の身を捨て、業平のふるまひけむ事を思ひいでて、我身をみな業平になしてよむ」と語っています。

これは、藤原定家自身は決して恋の道に明るいわけではなく平凡ですが、恋歌を詠む際は、多くの恋をして美男子としても知られる在原業平(『伊勢物語』の主人公のモデルとも言われる)に成り切って詠む、というものです。

「恋の歌をよむには凡骨の身を捨てて、業平のふるまひけむことを思ひいでて、わが身をみな業平になしてよむ」。自分は奥手で恋の道には暗いけれども、恋歌を詠む時には、全身全霊、在原業平になりきって詠むというのです。もとより、実人生で定家が恋愛に明け暮れるということはありませんでした。

出典 :『小倉百人一首』の撰者 藤原定家に迫る

この「春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空」という和歌は、鎌倉時代初期の勅撰和歌集『新古今和歌集』に収録されている歌です。

途中に出てくる「浮き橋」とは、水の上にいかだや舟を浮かべ、その上に板を渡した橋で、舟橋とも言い、不安定なもの、不確かなもののたとえとして使われます。

また、「夢の浮き橋」という表現で、「夢の中のあやうい通い路。また、はかないもの」を意味します。

冒頭は、春の夜の夢の浮き橋が途絶える、すなわち、春の夜に見た儚い夢から覚めたとき、となります。

後半の下の句「峰にわかるる横雲の空」は、峰によって雲が分断され分かれる、という解釈と、峰から雲が遠ざかり、離れ離れになる、という解釈があります。

いずれにせよ、峰のほうで夜明けの横雲が遠く離れ離れになっていく情景が歌われています。

もう一度、最初から全体を通して振り返ってみましょう。

この藤原定家の和歌「春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空」を現代語訳すると、「春の夜の浮き橋のように儚い夢から覚めると、山の峰で横雲が分かれて離れ離れになっている明け方の空よ」となります。

春の夜の浮き橋のように不確かで儚い夢とは、一つの恋を象徴しているのかもしれません。

その夢から覚めたとき、明け方の空を見れば、山の峰で離れ離れになっている横雲がある、という悲恋を風景で描いた和歌なのでしょうか。