よみ人しらず〜ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな〜意味と解釈
〈原文〉
ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな
〈現代語訳〉
ほととぎすが鳴く、この五月に咲くあやめ草の名のように、あやめ(物事の道筋や区別)を見失うぐらいの恋をしていることだ。
概要
この「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」という和歌は、平安時代中期の勅撰和歌集『古今和歌集』収録で、恋歌の先頭を飾る「よみ人しらず」の歌です。
ほととぎすが鳴いている陰暦の五月、これは今の六月、梅雨の頃で五月雨が降る季節。またほととぎすが鳴く季節でもあります。
その五月に咲くあやめ草(今で言う菖蒲)の名前のように、「文目」(文目とは、「物の筋道や分別」のことを意味し、あとに「知らず、分かず、見えず」をつけて用いられることも多い言葉です)の分からない恋をしていることだ、と続きます。
あやめ草と、あやめを掛け、物事も分からなくなるほど無我夢中の恋をしている、という心情を歌った恋の和歌です。
あやめ草が、五月頃に咲く、というだけでなく、平安時代中期には、五月五日の端午の節句で軒に菖蒲を飾ったという話もあり、その意味もあるかもしれません。
端午の節句の行事として、五月四日の夜、軒にショウブをさす。邪気を払い火災を防ぐという。古く宮中で行なわれたが、後、武家、民間にも伝わった。
もう一度、全体を通して振り返ってみます。
この「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」という和歌を、現代語訳を交えて解釈すると、「ほととぎすが鳴く、この五月に咲くあやめ草の名のように、あやめ(物事の道筋や区別)を失って無我夢中になる恋をしていることだ」となります。