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和歌・短歌

西行〜世の中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我が身なりけり〜意味と解釈

西行〜世の中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我が身なりけり〜意味と解釈

〈原文〉

世の中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我が身なりけり

〈現代語訳〉

出家して世の中を捨てたはずなのに、まだどこかに心残りがあって都を離れることのできない私です。

概要

西行さいぎょうは、俗名を佐藤義清のりきよと言い、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、のちに僧侶となる歌人です。

生まれた年は元永元年(1118年)で、文治6年(1190年)に、73歳で亡くなります。

西行像(MOA美術館蔵)

武芸に秀で、歌もよく、容姿端麗でもあったと伝えられる西行は、そのまま進めばエリートの道でしたが、1140年、22歳という若さで出家します。

出家の理由としてはいくつか説があり、その一つが高貴な女性への失恋でした。

出家の動機としては、「西行物語絵巻」(作者不明、二巻現存)では親しい友の死を理由に北面を辞したと記されている。この友人の急死にあって無常を感じたという説が主流だが、失恋説もある。これは『源平盛衰記』に、高貴な上臈じょうろう女房と逢瀬をもったが「あこぎ」の歌を詠みかけられて失恋したとある。

出典 : 佐藤義清(後の西行)の出家

その女性への想いを断ち切るために出家を決めた西行は、(妻子もいたという説がありますが、家族を捨て)家を出て、京都の郊外の小屋で仏道に励みます。

この「世の中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我が身なりけり」という和歌は、西行がまだ出家して間もない頃に詠んだ歌です。

現代語訳で言えば、「出家し、世の中を捨てたはずなのに、まだどこか(その女性に)心残りがあって、都を離れることができずにいる」といった意味になるでしょう。

他に、西行の代表作として知られる歌に、「道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」や「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」などがあります。

生涯で2000首ほどの和歌を詠み、特に、桜と月に関する歌が多い歌人でした。『新古今和歌集』には、西行の和歌が94首も掲載され、『新古今和歌集』の歌人のなかでもっとも多い数です。

道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ 西行道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ   西行 〈原文〉 道の辺べに清水しみず流るる柳陰やなぎかげしばしとてこそ立...