式子内親王〜玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする〜意味と解釈
〈原文〉
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
〈現代語訳〉
わたしの命よ、(この恋の苦しみゆえに)絶えるなら絶えてしまえ、このまま生き長らえると、(ますます恋心がつよくなって)耐え忍ぶ心が弱ってしまって(秘めた恋が露見して)困るから。
概要
作者の式子内親王(「しょくしないしんのう」とも)は、後白河天皇の第三皇女で、鎌倉時代初期の勅撰和歌集『新古今和歌集』のなかの代表的な女流歌人です。
正確な生まれ年は不詳ですが、病弱で、建仁元年(1201年)に亡くなります。
藤原俊成に歌を学び、また、内親王家に家司として仕えていた俊成の子の藤原定家と密かな恋愛関係にあったという説もあります。
この「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」という和歌は、『新古今和歌集』に「忍恋を」という題名で収録されている歌です。
式子内親王は、斎院という恋愛が禁じられている立場であり、この歌も、藤原定家のことを詠んだ歌ではないか、とも言われていますが確かなことは分かっていません。
冒頭の「玉の緒」とは、もともと首飾りなどに使われる玉を貫いた緒(ひもの意)のことで、この和歌では、「魂を身体につないでおく緒」から「命」を意味します。
続く「絶えなば絶えね」とは、「絶えるなら絶えてしまえ」という意味の強い表現で、語尾の「ね」は完了の助動詞「ぬ」の命令形です。
次の「ながらへば」は、「生きながらえると」を意味し、「忍ぶる」は、「耐え忍ぶこと」、最後の「〜もぞ」という表現は、「〜してはいけない、〜したら困る」を意味します。
さて、それでは全体をもう一度振り返ってみましょう。
この「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」という和歌を現代語訳して解釈すると、「わたしの命よ、この恋の苦しみゆえに絶えるなら絶えてしまえばいい。このまま生きながらえると、その恋心が膨れ上がり、やがて耐え忍ぶ心が弱って人に知られることになってしまっていけないから。」となります。
秘密の恋が外に溢れるくらいなら、今死んでしまってもいい、という激しい秘密の恋の歌です。
ちなみに、「絶え」「ながらへ」「よわり」という言葉は、「緒」の縁語で、どれも緒の状態を表す表現となっています。
縁語とは、和歌や文章の修辞法の一つで、モチーフとなるものと関連し合う言葉を使用することです。
和歌や文章での修辞法の一つ。主想となる語と意味上密接に関連し合うようなことばを、他の箇所に使用して、表現のおもしろみやあやをつけること。また、そのことば。縁の詞(ことば)。よせ。かけあひ。
式子内親王の和歌には、他に、「夢にても見ゆらむものを嘆きつつうちぬる宵の袖のけしきは」や、「ほととぎすその神山の旅枕ほの語ひし空ぞ忘れぬ」などがあります。