君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く 額田王
〈原文〉
君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く
〈現代語訳〉
あなたのことを恋しく思いながら待っていると、私の部屋のすだれを動かして、秋の風が吹いてくる。
概要と解説
この歌は、現存する日本最古の歌集である『万葉集』に収録されています。
作者は、額田王という7世紀半ば、飛鳥時代の皇族であり歌人の女性です。
額田王に関する出自の記述はほとんどなく、出生に関しては西暦631年から637年頃に生まれ、亡くなったのが690年前後だと考えられています。
生まれた場所についても諸説あり、はっきりしたことは分かっていません。
額田王は、大海人皇子(当時は皇太子で、のちの天武天皇)の妃であったものの、その後、皇子の実兄である天智天皇と結ばれることになります。
この「君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」という和歌の詞書には、「額田王、近江天皇(天智)を思ひて作る歌」とあり、額田王が、天智天皇を思って詠んだ歌とされています。
現代語訳するなら、「あなたを恋しく思いながら待っていると、私の部屋のすだれを動かして、秋の風が吹いてくる」という繊細な恋心を詠んだ歌です。
以下、この和歌を通して描かれる情景や心情、語句の意味を、簡単に解説したいと思います。
冒頭の「君待つと」とは、「君を待っているとき」といった意味になります。
その後の「わが恋ひをれば」の「恋ひをる」とは、現代読みでは「こいおる」となり、「恋しい状態でじっとしている、その状態が続いている」といった意味合いになります。
あなたのことを恋しい気持ちで、じっと思って待っていると、「屋戸」のすだれが動き、秋の風が吹いてくる。
この「屋戸」とは、「宿」とも書き、「家や部屋」のことで、また、「家の戸口(出入り口)」という意味もあります。
すだれは現在でも使われますが、竹や葦を細かく割り、糸で編み連ねたもので、日除けや、隙間を取り込むこともできる効果があります。
恋しい人のことを思いながら、家でじっと待っているときというのは、ほんのわずかのことでも心が揺れ動くものでしょう。
そんなときに、ふいにすだれが動きます。
心が一瞬ときめくものの、秋の風によってすだれが揺れ動いたのだと分かる。その微妙で繊細な、恋する女性の心情が描かれている歌です。
秋の風が吹いて、すだれがかすかに動いている、誰もいない光景が思い浮かぶようです。
現代で言えば、たとえば、車が停まる音であったり、携帯電話のメッセージの通知音やバイブレーションなど、一瞬、「あの人だ」と思っても、実際は違った、というときの心情に通じるものがあるのかもしれません。
額田王は、『万葉集』に、長歌3首と短歌9首の全部で12首の和歌が掲載され、この歌の他にも、教科書で取り上げられていることなどから、有名な和歌として、「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」も挙げられます。
〈原文〉
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
〈現代語訳〉
紫草の生えた野を行き、標野を行きながら、(標野の)見張りが見やしないだろうか、いや見てしまうことでしょう。あなたが(あっちへ行きこっちへ行きしながら私に)袖を振るのを。
この和歌の詞書には、「天皇、蒲生野に遊猟し給ひし時に額田王の作れる歌(大海人皇子が蒲生野で狩りをしたときに、額田王が詠んだ歌)」とあります。
和歌に出てくる「遊猟」とは、宮廷が行う狩猟の行事で、皆で野山に出て鹿を狩ったり薬草を集めたりすることです。
歌の冒頭、「あかねさす」とは、赤い色が差し、照り輝くことから、「日」「昼」「紫」「君」「朝日」などにかかる枕詞です。
標野とは、皇室や貴人が占有し、一般の人々は立ち入りを禁じられた野を意味します。
また、最後の「袖振る」というのは、もともと相手の魂を呼び寄せる呪術的な行為だったことに由来し、相手の心を惹きつけることから、別れを惜しんだり、愛情を示したりする求愛の合図を意味します。
ざっくりと言えば、紫草の生えている野原を、あちらこちらへ行きながら、そんなに袖を振っていると、見張りに見られてしまいますよ、ということです。
額田王は、大海人皇子(のちの天武天皇)と結婚し、子供もいたのですが、この歌を詠んだときには、大海人皇子と別れ、彼の実兄である天智天皇と恋仲にありました。
この歌は、額田王が、狩のあとの宴会の席で、昔の夫であった大海人皇子に対し、私は今は天智天皇と恋仲にありますが、大海人皇子はまだ私に気があり、袖を振って愛情表現をしている。そんなにあっちこっちへ行きながら袖を振っていたら、見張りの人に秘めた恋が知られて大変なことなってしまいますよ、ということを詠んだ歌と解釈されています。
一方、この額田王の歌に、大海人皇子は、「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」と返します。
これは、現代語訳すると、「紫の花のように匂わしいあなたを私が憎いと思うならば、まして人妻であるあなたのことを、私がこんなにも恋焦がれることがありましょうか。」という意味になります。
これらのやりとりは、恋愛に関する歌である「相聞」ではなく、「雑歌」に分類されていることから、恋心を詠んだ歌や、深刻な三角関係の歌というよりは、宴会の席での盛り上がりのための戯れの一環と考えられています。
酒の席で盛り上げようと、額田王が、皮肉混じりの言葉遊びとしてこの和歌を披露し、その歌に大海人皇子が巧みに返した、という背景があるようです。