日本近現代文学

童謡『ふるさと』の歌詞「うさぎおいし」の意味と舞台

童謡『ふるさと』の歌詞「うさぎおいし」の意味と舞台

童謡『ふるさと』は、1914年(大正3年)に文部省唱歌の第6学年用として発表された曲です。

文部省唱歌とは、1881年以降、第二次世界大戦終了時の1945年までの文部省発行の初等音楽教科書に掲載された、文部省選定の教育用歌曲です。

この『ふるさと』は、長らく作詞者、作曲者が不明となっていましたが、作詞家として高野辰之、作曲家に岡野貞一が同定され、1992年からは音楽の教科書に明記されるようになります。

以下は、『ふるさと』の歌詞全文と現代語訳になります。

原文

うさぎ追ひしの山
小鮒こぶな釣りしの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷ふるさと

如何いかにいます父母
つつがなしや友垣
雨に風につけても
思ひいづる故郷ふるさと

志を果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷ふるさと
水は清き故郷ふるさと

現代語訳

うさぎを追いかけた あの山よ
こぶなを釣った あの川よ
今も夢のように思い 心巡る
忘れられない ふるさとよ

父や母は どうしているでしょうか
友たちは 無事に暮らしているでしょうか
雨や風にみまわれるたびに
思い出す ふるさとよ

夢を叶え志を果たしたなら
いつの日にか 帰りたい
山の青い ふるさとへ
水の清い ふるさとへ

それでは、『ふるさと』の歌詞の意味を一つずつ追っていきたいと思います。

冒頭の一節、「うさぎおいし かのやま こぶなつりし かのかわ」は、読むだけで自然と曲調が流れるのではないでしょうか。

この「うさぎおいし」というのが、「うさぎ美味しい」と錯覚してしまっているひとも少なくないようです。

まず出だしの「うさぎ追いし」ですが、これを耳にすると「うさぎ美味しい」と聞えるようで、うさぎを食べた歌という誤解も生じています。

出典 : 唱歌「ふるさと」について|同志社女子大学

しかし、実際は漢字を見ても分かるように、「兎追ひし かの山」で、「野うさぎを追いかけた あの山よ」という意味になります。

昔は日本で野うさぎを追いかけている光景というのも日常的だったのでしょうが、今はすっかり見ることはありません(参照 : ノウサギやホタルの全国的な減少が明らかに ~生物多様性指標レポート2015概要~)。

古文であることに加え、描写される光景が故郷ふるさととして馴染みがないことも勘違いが生じる要因なのかもしれません。

また、「うさぎおいし」というとき、追っているのが誰か、という日本語特有の主語の曖昧さもあります。

たとえば、故郷と、幼少時代の自分自身の経験を重ね合わせて歌っているのであれば、子どもが、野うさぎと追いかけっこしている映像を浮かべるでしょう。

一方で、狩猟としてうさぎを追いかける、という解釈もあり、その場合、大人が追いかけているのを見ている、という風にも想像できるかもしれません。

ただ、「こぶなつりし かの川」も、同じように「小鮒を釣っていた あの川よ」という意味になるので、この二つとも主語は子どもの頃の「私」と考えられます。

それでは、うさぎを追いかける「私」は、うさぎと追いかけっこをして遊んでいるのでしょうか。

どうやらかつて、野生のうさぎは害獣とされ、各地で「うさぎ追い」と呼ばれる、村人がみんなで協力してうさぎを捕まえるという行事や風習があり、子どもも一緒に参加したり、また子どもたちでうさぎを追いかけにいったこともあったそうです。

産山村で3日、冬恒例のウサギ追いがあり、親子連れや地元の猟友会員ら約100人が参加した。草原で捕まえた野ウサギを「産雪うぶゆき」と名付けて野に戻すと、元々いた草むらに向かって雪の上を駆けていくのを見届けた。

昔ながらの行事で冬の草原に親しんでもらおうと、村が毎年開き、今年で21回目。村の人によると、それ以前は地域の小学校で実施され、さらに以前は子どもが自分たちで野に出て、ウサギを追っていたという。

出典 : 熊本)産山村でウサギ追い 「産雪」と名付け野に戻す

この「うさぎおいし」には、単に子どもたちが追いかけっこをして遊ぶ、というだけでなく、こうした背景もあったのでしょう。

その後の「夢は今も巡りて、忘れ難き故郷ふるさと」は、「今も夢のように思い、心を巡る忘れられない故郷よ」となります。

一般的に知られているのは、この自分の思い出の光景を綴った一番までかもしれません。

続きの二番では、その故郷にいる両親や友人たちのことを思い出します。

まず、「如何いかにいます父母」の「います」とは、「いる」の丁寧語ではなく、古語の尊敬語「おはす」に当たり、「無事で暮らしている」というニュアンスもある、「いらっしゃる」という意味になります。

次に「つつがなし」というのは、「病気や災難に合っていない、無事で暮らしている」という意味の言葉で、「つつが」というのは病気や災難を意味します。

また、「友垣ともがき」とは、「友だち」のことですが、交わりを結ぶことを、垣根を結ぶことになぞらえたことに由来します。

その後の「雨風」というのは、苦しいことや辛いことの比喩の意味合いがあると解釈できるでしょう。

雨風に打たれるような辛いこと、悲しいことがあるたびに、故郷を思い出す、という意味の歌詞になります。

三番では、なぜ故郷から離れているのか、という理由が表現されています。

当時の若者たちは、立身出世を夢見て故郷を離れ、都会に向かいました。都会で成功し、故郷へ帰る、というのが夢でした。

志を果たし、いつか帰りたい(何も果たせず、帰れないかもしれない不安も抱えて)、という思いが込められているのでしょう。

もちろん、解釈は人それぞれですし、もう少しふわっと曖昧に捉えることで、時代性からも放たれ、今にも通じる普遍的な歌として聴くこともできるでしょう。

舞台は?

ちなみに、この故郷ふるさとの舞台やモデルとなった場所というのは、一体どこなのでしょうか。

かの山やかの川とぼかした表現がなされ、また長年作詞者や作曲者が不明だったことから、具体的な舞台というのは明確にはわかりませんでした(それゆえに誰もが自分の故郷を浮かべ、共感できたのでしょう)。

その後、制作者が同定され、実際は、作詞作曲者である高野や岡野が思い浮かべた自分たちの故郷もあったのかもしれません。

ふたりの故郷は、それぞれ長野県と鳥取県です。

高野の故郷、長野県中野市(旧豊田村)では「かの山」とされる熊坂山や大平山といった里山が望め、また、班川はんがわという「かの川」も流れる。

一方、作曲家の岡野の出身地鳥取県にも霊峰・大山があり、鳥取市内には江戸時代から明治時代にかけてコイやフナ、シジミが採れたという袋川が流れていた。

出典 : 「かの山」「かの川」とはどこか、「♪兎追いし」が日本人の心に響く理由と謎…誕生100年・唱歌「ふるさと」制作秘話

また、先ほどの「うさぎおいし」についても、作者自身の思い出と関連した指摘があります。

以下の文章では、作者の地元で行われていた「うさぎ追い」の様子も具体的に描かれています。

作詞者である高野辰之は長野県出身である。

「兎追いし」という歌詞は高野の時代は実際に学校の伝統行事であり、みんなでマントを着て、手をつなぎ輪になって大声を上げながら雪の山を登る。

驚いた兎を追い込み捕まえる。兎鍋にして学校の校庭で食したとのこと。その頃は大事なタンパク源でもあった。

おそらく高野は作詞にあたって幼少のころの思い出深い学校での行事、級友と鍋を囲んで食べた兎鍋は懐かしさが溢れる出来事だったのであろう。

「小鮒釣りし」は子供のころ友達と近くの川で遊んだ楽しい思い出の一つとおもわれる。

出典 : 文部省唱歌『ふるさと』100 年の変遷を辿る

作詞者の高野の出身地、長野県の旧豊田村でも、伝統的な狩猟である「うさぎ追い」が行われ、学校の伝統行事としてもあったとのこと。

マントを着て、手を繋いで輪になり、大声をあげながらみんなで雪の山を登る。

びっくりした野うさぎが追い込まれ、捕まる。そのうさぎを鍋にして校庭で食べる、という風習。

こうした思い出を振り返りながら、「うさぎ追いし かの山」と書いたのかもしれません。

以上、童謡『ふるさと』の歌詞の意味や舞台でした。