文部省唱歌『ふるさと』の歌詞全文と「うさぎおいしかのやま」の意味
童謡『ふるさと』は、1914年(大正3年)に文部省唱歌の第六学年用として発表された曲です。
文部省唱歌とは、1881年以降、第二次世界大戦終了時の1945年までの文部省発行の初等音楽教科書に掲載された、文部省選定の教育用歌曲のことで、尋常小学校向けには、一学年から六学年まで全部で6冊あり、一つの学年につき、20曲ずつ、合計120曲が収録されています。
文部省唱歌と現在の音楽教科書との違いとしては、全体が一つのコンセプトによって編纂された点が挙げられます。
個々の楽曲の作者については、編纂委員会の合議によって決められたこともあり、個人の名前は伏せられ、著作権は文部省が所有し、この件については、作者に高額な報酬を払い、個人名は伏せ、作者自身も一切口外しない、といった契約を交わしていたそうです。
現在、作者の一部は判明したものの、原案の作者を特定することは難しい状況で、不明のままの曲も少なくありません。
この『ふるさと』に関しても、長らく作詞者、作曲者が不明となっていましたが、作詞家として高野辰之、作曲家に岡野貞一が同定され、1992年からは、作者名も音楽の教科書に明記されるようになります。
この歌は、歌詞を見るだけでも、音楽が脳内で流れるという人も少なくないのではないでしょうか。
以下は、『ふるさと』の歌詞全文と現代語訳になります。
原文
兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷
如何にいます父母
恙なしや友垣
雨に風につけても
思ひいづる故郷
志を果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷
現代語訳
うさぎを追いかけた あの山よ
こぶなを釣った あの川よ
今も夢のように思い 心巡る
忘れられない ふるさとよ
父や母は どうしているでしょうか
友たちは 無事に暮らしているでしょうか
雨や風にみまわれるたびに
思い出す ふるさとよ
夢を叶え志を果たしたなら
いつの日にか 帰りたい
山の青い ふるさとへ
水の清い ふるさとへ
歌詞の冒頭、「うさぎおいし かのやま こぶなつりし かのかわ」という一節は、読むだけでも自然と曲調が想起される、とても有名な一節でしょう。
この「うさぎおいし」という部分を、「うさぎ美味しい」と錯覚してしまっている人も少なくないようです。
同志社女子大学の日本文学科の教授の吉海直人さんも、『唱歌「ふるさと」について』という文章のなかで次のように書いています。
まず出だしの「うさぎ追いし」ですが、これを耳にすると「うさぎ美味しい」と聞えるようで、うさぎを食べた歌という誤解も生じています。
しかし、実際は、漢字を見ても分かるように、「うさぎおいしかのやま」とは、「兎追ひし かの山」で、「野うさぎを追いかけた あの山よ」という意味になります。
昔は、日本で野うさぎを追いかけている光景というのも日常的だったのでしょうが、今はすっかり見ることはありません(参照 : ノウサギやホタルの全国的な減少が明らかに ~生物多様性指標レポート2015概要~)。
古文であることに加え、描写される光景が、故郷として馴染みがないことも、この「うさぎおいし」の意味の勘違いが生じる要因なのかもしれません。
また、「うさぎおいし かのやま」というとき、「追っているのが誰か」という日本語特有の主語の曖昧さもあります。
たとえば、故郷と、幼少時代の自分自身の経験を重ね合わせて歌っているのであれば、子供が、野うさぎと追いかけっこをしている映像を浮かべるでしょう。
一方で、狩猟としてうさぎを追いかける、という解釈もあり、その場合、大人がうさぎを追いかけているのを子供が見ている、という光景を想像できるかもしれません。
ただ、「こぶなつりし かの川」も、同じように「小鮒を釣っていた あの川よ」という意味になるので、この二つとも、主語は子供の頃の「私」と考えられます。
うさぎおいし かの山
こぶな釣りし かの川
うさぎを追いかけていたあの山よ、小鮒を釣っていたあの川よ、と自分が子供の頃に行っていたことを思い出しているのかもしれません。
それでは、うさぎを追いかける「私」は、うさぎと追いかけっこをして「遊んでいた」のでしょうか。
この「うさぎおいし」というのは、単純に、うさぎと追いかけっこをして「遊んでいた」様子を意味しているわけでもないようです。
どうやら、かつて、野生のうさぎは害獣とされ、各地で「うさぎ追い」と呼ばれる、村人がみんなで協力してうさぎを捕まえる行事や風習があり、子供も一緒に参加したり、また、子供たちで、うさぎを追いかけにいったこともあったそうです。
産山村で3日、冬恒例のウサギ追いがあり、親子連れや地元の猟友会員ら約100人が参加した。草原で捕まえた野ウサギを「産雪」と名付けて野に戻すと、元々いた草むらに向かって雪の上を駆けていくのを見届けた。
昔ながらの行事で冬の草原に親しんでもらおうと、村が毎年開き、今年で21回目。村の人によると、それ以前は地域の小学校で実施され、さらに以前は子どもが自分たちで野に出て、ウサギを追っていたという。
この「うさぎおいし かのやま」には、単に、子供たちが追いかけっこをして遊ぶ、というだけでなく、こうした文化的背景もあったのでしょう。
その後の「夢は今も巡りて、忘れ難き故郷」とは、「今も夢のように思い、心を巡る忘れられない故郷よ」という意味になります。
一般的に知られているのは、この自分の思い出の光景を綴った、一番までかもしれません。
続きの二番では、その故郷にいる、両親や友人たちのことを思い出します。
まず、「如何にいます父母」の「います」とは、「いる」の丁寧語ではなく、古語の尊敬語「おはす」に当たり、「無事で暮らしている」というニュアンスもある、「いらっしゃる」という意味になります。
次に、「つつがなし」とは、「病気や災難に合っていない、無事で暮らしている」という意味の言葉です。「恙」とは、病気や災難を意味します。
また、「友垣」とは、「友達」のことで、この漢字は、交わりを結ぶことを、垣根を結ぶことになぞらえたことに由来します。
その後の「雨風」というのは、苦しいことや辛いことの比喩の意味合いがあると解釈できるでしょう。
このように『ふるさと』の二番は、両親や友人は無事に暮らしているでしょうか、雨風に打たれるような辛いこと、悲しいことがあるたびに、故郷を思い出します、という意味の歌詞になります。
そして、三番では、この歌詞の主人公が、なぜ故郷から離れているのか、という理由が表現されています。
当時の若者たちは、立身出世を夢見て故郷を離れ、都会に向かいました。都会で成功し、故郷へ帰る、というのが夢でした。
志を果たし、いつか帰りたい(何も果たせず、帰れないかもしれない不安も抱えて)、といった思いが込められているのでしょう。
もちろん、歌詞の解釈は人それぞれですし、もう少しふわっと、意味を曖昧に捉えることで、時代性からも放たれ、今にも通じる普遍的な歌として聴くこともできるでしょう。

舞台はどこか
ちなみに、この故郷の舞台やモデルとなった場所というのは、一体どこなのでしょうか。
かの山やかの川という風に、ぼかした表現がなされ、また、長年『ふるさと』の作詞者や作曲者が不明だったことから、具体的な舞台というのは明確にはわかりませんでした。
それゆえに、誰もが「自分の故郷」を浮かべ、共感できた、というのもあるでしょう。
その後、制作者が同定され、実際は、作詞作曲者である高野や岡野が思い浮かべた自分たちの故郷もあったのかもしれません。
二人の故郷は、それぞれ、作詞者の高野が長野県、作曲家の岡野は鳥取県です。
高野の故郷の旧豊田村には、「かの山」とされる熊坂山や大平山などの里山があり、また班川という「かの川」も流れています。
高野の故郷、長野県中野市(旧豊田村)では「かの山」とされる熊坂山や大平山といった里山が望め、また、班川という「かの川」も流れる。
一方、作曲家の岡野の出身地鳥取県にも霊峰・大山があり、鳥取市内には江戸時代から明治時代にかけてコイやフナ、シジミが採れたという袋川が流れていた。
出典 : 「かの山」「かの川」とはどこか、「♪兎追いし」が日本人の心に響く理由と謎…誕生100年・唱歌「ふるさと」制作秘話
また、冒頭の「うさぎおいし」についても、作者自身の思い出と関連した指摘があります。
以下の文章では、作詞者の高野の地元で行われていた「うさぎ追い」の様子も具体的に描かれています。
作詞者である高野辰之は長野県出身である。
「兎追いし」という歌詞は高野の時代は実際に学校の伝統行事であり、みんなでマントを着て、手をつなぎ輪になって大声を上げながら雪の山を登る。
驚いた兎を追い込み捕まえる。兎鍋にして学校の校庭で食したとのこと。その頃は大事なタンパク源でもあった。
おそらく高野は作詞にあたって幼少のころの思い出深い学校での行事、級友と鍋を囲んで食べた兎鍋は懐かしさが溢れる出来事だったのであろう。
「小鮒釣りし」は子供のころ友達と近くの川で遊んだ楽しい思い出の一つとおもわれる。
作詞者の高野の出身地、長野県の旧豊田村でも、伝統的な狩猟である「うさぎ追い」が行われ、学校の伝統行事としてもあったとのこと。
マントを着て、手を繋いで輪になり、大声をあげながら、みんなで雪の山を登る。
びっくりした野うさぎが追い込まれ、捕まる。そのうさぎを、鍋にして校庭で食べる、という風習だったようです。
こうした思い出を振り返りながら、「うさぎ追いし かの山」と書いたのでしょうか。
そう考えると、「うさぎおいし」は、「うさぎが美味しい」という意味ではなかったとしても、実際にうさぎを食べたこと自体は間違いではなさそうです。
以上、童謡『ふるさと』の歌詞の意味や舞台でした。
童謡『鳩』『かたつむり』『桃太郎』の作者と歌詞の意味
文部省唱歌について、『ふるさと』以外に、現在もよく知られた有名な童謡は数多くあります。
たとえば、第一学年用の文部省唱歌の一覧は以下の通りとなっています。
- 日の丸の旗 (現在では「ひのまる」)
- 鳩
- おきやがりこぼし
- 人形
- ひよこ
- かたつむり
- 牛若丸
- 夕立
- 桃太郎
- 朝顔
- 池の鯉
- 親の恩
- 烏
- 菊の花
- 月
- 木の葉
- 兎
- 紙鳶の歌
- 犬
- 花咲爺
この一学年用の文部省唱歌のなかで、今でもよく知られる、代表的な童謡としては、『鳩』『かたつむり』『桃太郎』などが挙げられるでしょう。
続いて、一学年用の唱歌から、『鳩』『かたつむり』『桃太郎』の作者や歌詞を紹介したいと思います。
『鳩』〜ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ〜
ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、豆がほしいか、そらやるぞ。
この歌詞の一節を聴くだけでも、親しみやすいメロディーが頭のなかに浮かぶのではないでしょうか。
子供の頃に誰もが聴いたことのある有名なこの歌は、タイトルを『鳩』と言います。作者は、作詞も作曲も不明で、1911年発行の文部省の国定教科書『尋常小学唱歌 第一学年用』に掲載されている童謡です。
その後、1941年の国民学校用の教科書『ウタノホン』で、曲名が『鳩』から『ハトポッポ』に変えられ、その際、歌詞も微妙に変更されます。
改変後の『鳩(ハトポッポ)』の歌詞全文は、次の通りです。
『鳩』
ぽっぽっぽ
はとぽっぽ
豆がほしいか
そらやるぞ
みんなでいっしょに
食べに来い
ぽっぽっぽ
はとぽっぽ
豆はうまいか
食べたなら
みんなでなかよく遊ぼうよ
擬音語の「ぽっぽっぽ」とは、鳩の鳴き声です。これは鳩のなかでも、山鳩の鳴き声になります。
ふっと気軽に口ずさめる、「豆がほしいかそらやるぞ」という部分は、『鳩』の一番になります。
一番では、鳩に声をかけ、豆をあげよう、みんなで食べにおいで、と呼びかけます。
続きの二番では、「豆はうまいか 食べたなら みんなでなかよく遊ぼうよ」と、その豆を食べている鳩に、優しく語りかけるような歌詞となっています。
童謡ということもあり、シンプルで子供でも大変覚えやすい内容の歌です。
歌詞が、変化した部分としては、もともとの1911年版では、一番の最後が、「みんなで仲善く食べに來い」に、二番の最後が「一度にそろって飛んで行け」となっています。
みんなで仲善く食べに來い → みんなでいっしょに食べに来い
一度にそろって飛んで行け → みんなで仲良くあそぼうよ
また、この『鳩』と似たような題名の童謡で、日本で初めて口語の童謡を作詞した、東くめ作の『鳩ぽっぽ』があります。
東くめは、明治10年(1877年)に生まれ、昭和44年(1969年)に91歳で亡くなる童謡作詞家です。
教育学者だった夫の提案で、「子供の言葉による、子供が喜ぶ童謡」の作詞を始め、後輩で作曲家の滝廉太郎と組み、作品を残しています。
子供たちが歌いやすいような童謡を作った東くめ、その作品の一つとして、『鳩ぽっぽ』もあり、滝廉太郎作曲で、明治34年(1901年)刊行の『幼稚園唱歌』に収録されます。
しかし、『鳩』というと、あの「ぽっぽっぽ」が有名で、このくめ作詞の『鳩ぽっぽ』は、現在ではほとんど知られていません。
実は、この『鳩ぽっぽ』発表から10年後、文部省唱歌が編纂され、最初に触れた『鳩(ぽっぽっぽ、はとぽっぽ)』が、作者不明の歌として掲載されます。
この『鳩ぽっぽ』と、その後の『鳩』とは、一体どういった関係があるのでしょうか。
一説として、作詞くめ、作曲滝廉太郎の『鳩ぽっぽ』が、『鳩』の元歌となり、歌詞やメロディーが異なった形で掲載された、という指摘があります。
幼稚園唱歌が刊行されてから10年後の明治44年、当時の文部省が尋常小学生向けに「文部省唱歌」を編纂した。
そこには、くめ作詞・滝廉太郎作曲の「水あそび」「お正月」などは採用されたが、なぜか「鳩ぽっぽ」は入らず、歌い出しやメロディーが微妙に異なる「鳩」が作詞、作曲不詳として掲載された。
この辺りの詳しい経緯というのは分かっていません。
ただ、この件に関し、生前くめは、「ぽっぽっぽ〜で始まると、鳩ポッポか、汽車ポッポかわかりゃしない。だから、はじめから、鳩ぽっぽ~と歌い出しているんだよ」と語り、歌詞が変わってしまったことを残念がっていたこと。
また、文部省の歌が出た際には、文句を言おうかと悩んだものの、若い誰かの一生を傷つけるかもしれないので我慢した、と語っていたことが、義理の娘の証言で明らかになっています。
以下は、東くめ作詞の『鳩ぽっぽ』と歌詞全文です。
『鳩ぽっぽ』
鳩ぽっぽ 鳩ぽっぽ
ぽっぽぽっぽと とんでこい
お寺の屋根から おりてこい
豆をやるから みなたべよ
たべてもすぐに かえらずに
ぽっぽぽっぽと 鳴いて遊べ
このように、「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」のほうの『鳩』とは、歌詞の違いが結構あり、たとえば、冒頭は、「鳩ぽっぽ」で始まります。
また、曲調もだいぶ違うので、これが『鳩』の元歌かと言われると、判断は難しいかもしれません(動画 : 鳩ぽっぽ 『幼稚園唱歌』明治34年 東くめ 作詞 滝廉太郎 作曲)。
ただ、鳩に豆をやる情景の他に、発表の年代的にも、また「鳩ぽっぽ」という印象的なフレーズにしても、影響を受けていることは間違いないのではないでしょうか。

『かたつむり』〜でんでんむしむし、かたつむり〜
もう一つ、有名な童謡の一節として、「でんでんむしむし、かたつむり、お前の頭はどこにある」があります。
このフレーズも、誰もが一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。
この聴き馴染みのある冒頭で始まる童謡のタイトルは、『かたつむり』です。
童謡『かたつむり』も、文部省編纂の教科書『尋常小学唱歌』の第一学年用に掲載されている唱歌です(動画 : かたつむり (でんでんむし)【歌あり】童謡)。
以下は、『かたつむり』の歌詞全文になります。
『かたつむり』
でんでん むしむし かたつむり
お前のあたまは どこにある
つの出せ やり出せ あたま出せ
でんでん むしむし かたつむり
お前のめだまは どこにある
つの出せ やり出せ めだま出せ
一番では、頭はどこにある、とかたつむりに尋ね、「あたま出せ」とあります。
二番では、めだまはどこにある、と言い、「めだま出せ」と終わります。
殻に隠れているかたつむりに、子供たちがはしゃいでいる光景を、歌詞にしたのかもしれません。
ところで、歌詞に出てくる「でんでんむし」とは、どういった意味であり、「かたつむり」とは違いがあるのでしょうか。
まず、かたつむりとは、「陸に棲む巻貝のうち、殻を持つもの」の通称となります。
ただし、かたつむりという言葉は日常語で、特定の分類を指すわけではなく、生物学的に厳密な定義はありません。
ああいう生き物を、ざっくりとかたつむりと呼んでいる、と言えるでしょう。
かたつむりの「かた」は、「笠に似た貝」「笠を着た虫」の意味で、「笠」が語源です。「つむり」は、つぶりなどと一緒で、貝の呼び名です。
漢字で書くと、蝸牛になります。

かたつむりには、生物学的に厳密な定義はないと言いましたが、似た生き物として挙げられるなめくじも、実は定義が大雑把です。
かたつむりとなめくじの違いとしては、殻があるかないか、というのが、ほとんど唯一の点として挙げられます。
確かにカタツムリとナメクジはよく似ています。カタツムリの殻を取ったら、ナメクジになりそうですね。
その通り、カタツムリとナメクジの最大のちがいは、殻があるかないか。ほかにはあまり、ちがいがありません。
かたつむりとなめくじは、共通の祖先で、進化の過程において、殻をなくしたなめくじと、殻を持ったままだったかたつむりに分かれていった、と考えられています。
ただ、かたつむりは、殻と体が一体化しているので、殻だけを無理やり外そうとすると、死んでしまいます。
童謡で歌われる「でんでんむし」とは、かたつむりの別の呼び名(もともとは「ででむし」)で、同じ生き物を指し、かたつむりには、他に「まいまい」という言い方もあります。
この「でんでんむし」の「でんでん」とは、「出よ出よ」という意味で、かたつむりが、触れるとすぐに殻のなかに体を隠してしまうので、子供たちが、「出よ出よ」と言ったことから、でんでん虫と呼ばれるようになった、という説があります。
まさに『かたつむり』で歌われた光景そのものと言えるでしょう。
一方、「まいまい」というのは、関東地方の方言で、貝殻の「巻き巻き」というのが「まいまい」になったという説や、子供たちが、「舞え舞え」とはやし立てたことに由来するという説があります。
また、昭和初期の本で、民俗学者の柳田國男は、もう少し違った角度で「かたつむり」の方言を説明しています。
柳田國男は、蝸牛、すなわち『かたつむり』の方言が、東北地方の北部と九州の西部でナメクジであり、同じく東北と九州でツブリであり、関東や四国でカタツムリ、中部や中国などでマイマイ、そしてデデムシは主として近畿地方というように、京都を中心に同心円状に分布することを発見し、これによって、蝸牛を表すことばが歴史的に同心円の外側から内側に向けて順次変化してきたと推定した。
その他、平安時代の辞書では、「加太豆不利」(かたつぶり)とあり、京都では、長くこの呼び名だったようです。
童謡『かたつむり』は、古くから伝わる「でんでんむしむし、つのだせ、やりだせ」というわらべ唄を下敷きに作られたと考えられています。
作者は不明ですが、作詞については、尋常小学唱歌編纂委員で、代表作に「早春賦」などがある作詞家の吉丸一昌ではないか、という研究があります。
ちなみに、でんでんむしを描いた作品で言えば、童話作家の新美南吉の短い童話『でんでんむしのかなしみ』も有名です。
殻のなかに抱えた悲しみ、でも、その悲しみを誰もが持っていると、そのでんでんむしは気づき、そして、悲しみと生きていくことを決める、というお話です。
『桃太郎』〜ももたろうさん、ももたろうさん〜
文部省唱歌の一学年用のなかで有名な曲としては、『桃太郎』も挙げられます。
作者については、作曲は、代表作として『故郷』『春が来た』『春の小川』『朧月夜』などがある岡野貞一、作詞は不明です。
この『桃太郎』の歌詞は、おとぎ話の『桃太郎』のストーリーが描かれています。
歌詞の1番の「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきびだんご、一つ私にくださいな」というのはよく知られた一節ですが、実は歌詞には続きがあり、全部で6番まであります。
この歌詞の続きが、ちょっと怖い雰囲気もあり、ときどき話題となります。
以下は、桃太郎の歌詞全文です。
『桃太郎』
桃太郎さん 桃太郎さん
お腰につけたキビダンゴ
一つわたしに 下さいな
やりましょう やりましょう
これから鬼の征伐に
ついて行くなら やりましょう
行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
家来になって 行きましょう
そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ 鬼が島
おもしろい おもしろい
のこらず鬼を攻めふせて
分捕物を えんやらや
万万歳 万万歳
お伴の犬や猿キジは
勇んで車を えんやらや
桃太郎が、鬼退治に向かい、途中、きびだんごをあげることで家来になった、犬や猿、キジと一緒に、鬼ヶ島に行きます。
前半は勇ましくも、のどかな雰囲気だった歌詞が、後半、4番辺りから、「つぶしてしまえ、鬼ヶ島」など、結構強めの表現になります。
5番の「分捕物」とは、奪い取ったものという意味です。おもしろい、おもしろいと鬼を全滅させ、物を奪い取り、えんやらやと持ち帰ってくる、というストーリー展開。
画像 : 山東京伝『絵本宝七種』(鬼から奪った財宝の一つ「打ち出の小槌」をふるう桃太郎) 1804年
この「えんやらや」とは、 複数の人が力を合わせて重いものを運ぶ際に出す掛け声に由来する言葉です。「えいや」や「えんやこら」も、同じ語源だと考えられます。
ちなみに、桃太郎、というおとぎ話は、一体いつ頃できたのでしょうか。
桃太郎というおとぎ話の成立年代は、正確には分かっていません。
ただ、口承文学としての原型の発祥は、室町時代末期から江戸時代初期頃とされます。
その後、江戸時代の草双紙の本や黄表紙版の『桃太郎』『桃太郎昔話』などの出版によって桃太郎の話は広まっていきます。
また、「桃から生まれた桃太郎」という冒頭の設定は、19世紀初頭の頃から見られた型で、その前は、「桃を食べて若返った夫婦が出産する」という型が主流だったようです。
以上、文部省唱歌の一学年用の代表的な童謡『鳩』『かたつむり』『桃太郎』の作者と歌詞の全文でした。