『銀河鉄道の夜』の冒頭と、ハレー彗星の話
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊るした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いをかけました。
概要と解説
作者の宮沢賢治は、明治から昭和初期にかけての詩人・童話作家です。37歳という若さで亡くなり、生前はほとんど無名の作家でした。
宮沢賢治作品の代表作の一つに、少年ジョバンニが主人公の童話『銀河鉄道の夜』があります。
この作品は、賢治の生前には出版されることはなく、晩年まで推敲が繰り返され、賢治の死後に発表されることとなります。
冒頭の描写
物語の冒頭は、学校で先生が教室のみんなに、「そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いもの」は何か、と問いかけるシーンから始まります。
ジョバンニは、それが星だと知っていましたが、言葉にして口に出すことができませんでした。それから先生は、カムパネルラを指差しますが、やはりカムパネルラも答えることができません。
そして、ジョバンニは、カムパネルラもそれが星であると知りながら、ジョバンニを気遣って答えられなかったのだとわかっていたので、悲しくて仕方がなくなります。
ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。
それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。
それをカムパネルラが忘れる筈もなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
出典 : 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
冒頭では、のちに銀河鉄道で一緒に旅をするカムパネルラと、二人で銀河の世界を見ていたときのことが描かれています。
ハレー彗星と銀河鉄道
このカムパネルラのモデルは、宮沢賢治の親友の保阪嘉内ではないか、とも言われています。
そしてまた、銀河鉄道のモチーフになったのは、保阪嘉内が山梨に住んでいた中学時代、1910年に見たハレー彗星の話だといった説があります。
そのときの様子を描いたスケッチが残され、「銀漢ヲ行ク彗星ハ 夜行列車の様ニテ 遥カ虚空ニ消エニケリ」、すなわち、彗星が夜行列車のようだったとあります。
保阪嘉内の少年時代のスケッチ
ハレー彗星が見えた日は、賢治の住んでいた岩手では天気が悪く、賢治自身は見えなかったのではないか、と言われていますが、のちに彗星の話を聞き、そこから銀河鉄道のイメージを膨らませたのかもしれません。
