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小説

太宰治『斜陽』のあらすじと名言

太宰治『斜陽』のあらすじと名言

『斜陽』のあらすじ

太宰治は、1909年(明治42年)に生まれ、1948年(昭和23年)6月13日に、38歳という年齢で、愛人との入水自殺によって亡くなる日本を代表する作家です。

戦後の没落していく貴族を描いた小説『斜陽』は、太宰治晩年の1947年に出版。作品のタイトルに由来した、没落貴族を意味する「斜陽族」という言葉も生まれるほどの人気となった太宰治の代表作の一つです。

斜陽とは、西に傾いた太陽、夕陽を意味し、転じて、 「新興のものに圧倒されて、しだいに没落していくこと」を指します。

主な登場人物は、主人公で作品の語り手である元華族令嬢かず子(29歳)と、元華族夫人で爵位を持つ夫を亡くし、離婚したかず子の面倒を見ている、かず子の母。

そして、かず子の弟の直治なおじと、直治が憧れる小説家の上原二郎です。

登場人物は、皆どこか退廃的であったり、儚い人物で、その一つ一つの言葉にも、死や憂いの美しさが備わっています。

冒頭は、次のような印象的な一節で始まります。

朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽かすかな叫び声をお挙げになった。

出典 : 太宰治『斜陽』

母のスープの飲み方の所作で、貴族の雰囲気を表現する冒頭のシーンとなっています。

作品のあらすじを簡単に紹介すると、まず、物語の語り手であり旧貴族のかず子と、かず子の母は、戦後の時代の移り変わりによって貴族階級から没落し、東京から伊豆の山荘に引っ越すことになります。

そして、戦争で死んだと思われていた弟の直治が、アヘン中毒になりながらも生きていることが発覚し、かず子たちの家に帰ってきます。

その後、母の体調は悪化。母が亡くなったあと、どうやって生きていくかを考えたときに、かず子は、6年前に一度だけ会ったことがある、直治の尊敬する小説家で妻子のいる上原二郎に、「愛妾にしてほしい」「あなたの子供がほしい」と3通の手紙を送ります。

母が亡くなったのち、かず子は、「戦闘開始」と、上原二郎に会いに行くことにし、実際に結ばれ、妊娠するのですが、その頃、弟の直治は、生きづらさなどから遺書を残して自殺します。

母も弟も死に、上原とも距離が離れ、それでも、子供とともに生きていく決意をするかず子、これが『斜陽』の大まかなあらすじになります。

『斜陽』の名言

太宰治自身も、『斜陽』の出版からまもなく自殺することになる、晩年の作品で、作品のなかには、生きていこうとする者と、死にゆく者の心情が込められた名言・名台詞が数多く見られます。

以下、『斜陽』に登場する言葉から選んだ、名言を紹介したいと思います。

普通の病気じゃないんです。神さまが私をいちどお殺しになって、それから昨日までの私と違う私にして、よみがえらせて下さったのだわ。 p30

出典 : 太宰治『斜陽』

東京から伊豆に引っ越した際、東京に住んでいた頃を恋しく思い、体調を崩したときのかず子の母の言葉です。

夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら。P48

出典 : 太宰治『斜陽』

これは、かず子の畑仕事をぼんやりと眺めながら言った、夏の花が好きな母の言葉です。

他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。P57

出典 : 太宰治『斜陽』

自分はもう必要ないんだと取り乱し、私には行くところがある、と母に言い放ったかず子。

少し経ち、「それはどこなの?」と母に尋ねられ、答えたときのかず子の言葉。母は、ほんのり頬を赤く染め、そのかず子のひめごとが実を結びますように、と祈ります。

結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないか。このように苦しんでも、ただ、自殺で終るだけなのだ、と思ったら、声を放って泣いてしまった。P72

出典 : 太宰治『斜陽』

弟の直治が、麻薬中毒に苦しんでいた頃に書いた「夕顔日誌」と名付けられたノートにあった一節です。

とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ。P74

出典 : 太宰治『斜陽』

この一文も、直治の夕顔日誌に書かれた文章で、その他、当時の感情が書き殴られるように綴られています。

世間でよいと言われ、尊敬されているひとたちは、みな嘘つきで、にせものなのを、私は知っているんです。私は、世間を信用していないんです。札つきの不良だけが、私の味方なんです。札つきの不良。私は、その十字架にだけは、かかって死んでもいいと思っています。万人に非難せられても、それでも、私は言いかえしてやれるんです。お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか、と。P102

出典 : 太宰治『斜陽』

かず子が、上原二郎に宛てて書いたラブレターに近い手紙のなかの一枚に載っている一文です。

妻のある上原に、3通の手紙を送り、「あなたの赤ちゃんがほしいのです。」「お逢いしとうございます。」「私の望み。あなたの愛妾になって、あなたの子供の母になる事。」と強い想いを打ち明けます。

ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。P117

出典 : 太宰治『斜陽』

かず子が10代の頃に出会った友人が、かず子に言ったバイロンの詩句の一節。

その友人がレーニンの本を貸してくれ、読まずに返したかず子とのシーンで、友人は、「あなたは、更級日記の少女なのね」と言い、それから別れ際に言った言葉です。

バイロンは、19世紀前半のイギリスの詩人。この「ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。」というのは、太宰治独自の翻訳のようです。

太宰治「ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。」太宰治「ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。」 太宰治の小説『斜陽』に出てくる言葉に、「ご無事で。もし、これが永遠...

原文は、“Fare thee well! and if for ever, Still for ever, fare thee well ──”。詩のタイトルは、『FARE THEE WELL(全文)』です。

幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。P128

出典 : 太宰治『斜陽』

美しい映像が浮かぶような名言で、かず子が、母の幸福感を想像しながら表現した言葉です。

悲しみの限りを過ぎ、不思議な薄明かりの気持ちを抱いたとき、それが「幸福感」というものではないか、とかず子は考えます。

死んで行くひとは美しい。生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。(……)けれども、私には、あきらめ切れないものがあるのだ。あさましくてもよい、私は生き残って、思う事をしとげるために世間と争って行こう。P129

出典 : 太宰治『斜陽』

かず子にとっての庇護者でもあった母が亡くなっていくことを思いながら、たとえそうなっても、生きていこうと決意を胸に刻む、かず子の言葉です。

生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。P147

出典 : 太宰治『斜陽』

上原二郎たちのどんちゃん騒ぎを見ながら、かず子が思う言葉。きっと何かが間違っていたとしても、生きている以上、生き切りたいと願う以上、自分の恋と同じように、こうでもしないといられないのかもしれない、とかず子は思います。

僕は、僕という草は、この世の空気との中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。P158

出典 : 太宰治『斜陽』

物語の終盤、自殺した直治の遺書に書かれている言葉の一節。まるで作者の太宰治の心の叫びのように思えなくもありません。

ただ、この小説は、最後の貴族だったのではないかというかず子の母や、この世に適応できずに自殺を選ぶ弟の直治、退廃的な生活を送る上原二郎とは対照的に、たくましく世間と闘って生き抜こうとする主人公のかず子の言葉もあり、決して暗いだけの結末にはなっていません。

こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。

あなたが私をお忘れになっても、また、あなたが、お酒でいのちをおなくしになっても、私は私の革命の完成のために、丈夫で生きて行けそうです。

出典 : 太宰治『斜陽』

小説のラストは、かず子から上原二郎へ宛てた「おそらくはこれが最後の手紙」で終わります。

ちなみに、これは『斜陽』自体の名言というわけではありませんが、作中、第2章のかず子の火事未遂後のシーンで、聖書の一節として、「おりにかないて語ることばは銀の彫刻物ほりものに金の林檎をめたるが如し」という言葉が引用されます。

しばらくしてお母さまが、
「なんでもない事だったのね。燃やすための薪だもの」
とおっしゃった。

私は急に楽しくなって、ふふんと笑った。おりにかないてかたことばぎん彫刻物ほりものきん林檎りんごめたるがごとし、という聖書の箴言しんげんを思い出し、こんな優しいお母さまを持っている自分の幸福を、つくづく神さまに感謝した。

ゆうべの事は、ゆうべの事。もうくよくよすまい、と思って、私は支那間の硝子戸越しに、朝の伊豆の海をながめ、いつまでもお母さまのうしろに立っていて、おしまいにはお母さまのしずかな呼吸と私の呼吸がぴったり合ってしまった。

出典 : 太宰治『斜陽』

この「機にかないて語る言は銀の彫刻物に金の林檎を嵌めたるが如し」とは、旧約聖書の箴言、第25章11節の言葉です。

最初の「機にかないて」とは、タイミングに適って(ちょうど相応しい)という意味で、全体では、「時宜に適って語られる言葉というのは、まるで銀の彫り物にはめられた金の林檎のようだ。」となります。

要するに、適切な状況やタイミングで発せられる言葉は、とても貴重だ、という意味の言葉です。

それは、逆に、適切なタイミングでなければ、言葉は力を持たない、場合によっては逆効果にさえなる、ということも言えるでしょう。

この言葉は、太宰治が、愛人の一人であった山崎富栄に、聖書ではどんな言葉を覚えているか、と問いかけた際に、彼女が答えた一節だったようです。

聖書ではどんな言葉を覚えていらっしゃいますか、の問いに答えて私は次のように答えた。「機にかなって語る言葉は銀の彫刻物に金の林檎りんごめたるが如し」。「吾子よ我ら言葉もて相愛することなく、行為と真実とをもてすべし」。

新聞社の青年と、今野さんと私とでお話したとき、情熱的に語る先生と、青年の真剣な御様子と、思想の確固さ。そして道理的なこと。人間としたら、そうるべき道の数々。何か、私の一番弱いところ、真綿でそっと包んででもおいたものを、鋭利なナイフで切り開かれたような気持ちがして涙ぐんでしまった。

戦闘、開始! 覚悟をしなければならない。私は先生を敬愛する。

出典 : 山崎富栄『雨の玉川心中 太宰治との愛と死のノート』

以上、太宰治『斜陽』のあらすじと名言でした。