〈景品表示法に基づく表記〉当サイトは、記事内に広告を含んでいます。

日本近現代文学

死別の悲しみや亡くなった人を思う詩

死別の悲しみや亡くなった人を思う詩

涙と言葉

人は、自らの死を経験することはなく、常に「他者の死」を通して、「死」を経験します。

この「他者の死」にも、二人称の死と三人称の死があり、三人称の死、すなわち第三者の死は、テレビやネット上に溢れる情報に近く、無数の死の話に胸を痛めることはあったとしても、胸をえぐられるような悲痛に襲われることは、それほど多くないかもしれません。

死が、もっとも深い悲しみとして、また、得体の知れぬ恐怖として迫ってくるのは、二人称(特定の「あなた」)の死です。

恋人や友達、祖父母や両親など家族との死別です。

身近な存在や身内の死は、文字通り、身体の内側がえぐり取られるような激しい痛みが生じます。

親しい間柄や家族との死別の悲しみを緩和させるためには、「涙」が最良の薬と言えるかもしれません。一人になり、声をあげて泣くこと。目一杯に泣くこと。

涙は、その都度思い出したように溢れ、死者への想いが深ければ深いほど、涙も尽きることはないでしょう。

一方で、涙が出ないからと言って、想いが深くないというわけでもありません。悲しいはずなのに、なぜか「泣けない」ということもあります。

心は、日々の忙しさに追われたり、あまりの死のショックによって、無意識のうちに心を守ろうとして強張り、泣けない、という精神状態になることもあります。

だから、泣けないというのは、決して平気だからとか悲しんでいないから、というわけではなく、むしろ、悲しみの深さゆえに泣けない、ということもあるかもしれません。

そんなときは、なるべく散歩をしたり、なにもない空っぽの部屋で、大の字になって寝転んでみる。

ゆっくりと時間を与え、心に少しだけ隙間を与えてあげることによって、ふと思い出がよぎり、感情が動き出す瞬間が訪れるでしょう。

自分自身の悲しみを悲しむこと、涙を流すことは、心にとっても非常に大事なことです。

また、家族や大切な人との死別の悲しみや辛さには、涙を流すこと以外に、もう一つの対処法として、「言葉に触れる」ということも挙げられます。

これまで自分を保ってくれていた大切な存在を失ったことによって混乱した心の世界に、再び調和を取り戻してくれるもの、ときに優しく背中をさすってくれるような小説や詩、映画、音楽の歌詞の一節があります。

その表現のなかでも、身近な存在の死別、亡くなった人を思う詩について紹介したいと思います。

中原中也『春日狂想』

生前は無名のまま、若くして亡くなった詩人の中原中也は、30年という短い生涯のあいだに、自分自身、多くの身内との死別も経験しています。

祖母、父、弟、そして、なによりも幼い長男の文也。中也は、文也をとても可愛がっており、突然の死には精神的にも肉体的にも深く疲弊し、その後病院に入院することにもなります。

この文也の死を追悼する中也の詩の一つが、「愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。」という強烈な一節で始まる、『春日狂想』です。

愛するものが死んだあと、それでも生きるというなら、奉仕の気持ちになって、日々を生きること。

詩のトーン自体は、明るい調子ですが、決して愉快ではなく、しかし、それゆえにいっそう悲しみの深さを感じる詩です。

春日狂想

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、ごう(?)が深くて、
なおもながらうことともなったら、

奉仕ほうしの気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前せんより、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田ばっかんさなだ敬虔けいけんみ――

まるでこれでは、玩具おもちゃの兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向ひなたを、ゆるゆる歩み、
知人にえば、にっこりいたし、

飴売爺々あめうりじじいと、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなったら、日蔭に這入はいり、
そこで地面や草木を見直す。

こけはまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日れいじつ

参詣人等さんけいにんらもぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

《まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌ごきげんいかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処どこかで、お茶でも飲みましょ。

勇んで茶店に這入はいりはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草たばこなんぞを、くさくさ吹かし、
名状めいじょうしがたい覚悟をなして、――

戸外そとはまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国あっちに行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮はなよめごりょう

まぶしく、しく、はたうつむいて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直じっちょくなんぞと、心得こころえまして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。

中原中也『在りし日の歌』より

麦稈真田とは、むぎわら帽子を、真田紐のように編んだもののことです。

奉仕の気持ちになり、しかし特に何かできることもなく、日常が送られている様子が描かれています。

その日常の一つ一つに、なるべく淡々と過ごそう、そうでなければ苦しくて耐えられない、という心情も伺え、日々の隙間から悲しみが滲み出してくるような詩です。

この『春日狂想』だけでなく、中原中也の詩集『在りし日の歌』には、他にも文也追悼の詩が収録されています。

茨木のり子『〈存在〉』

詩人の茨木のり子さんは、『自分の感受性くらい』に象徴されるような、意思が強く、鼓舞する作品の印象もあるかもしれません。

それは、彼女自身の詩人としての信念や個性、また、若かりし頃の戦争体験などにも由来します。

一方で、茨木のり子さんは、49歳のとき、最愛の夫と死別。その後、その別れの悲しみを少しずつ詩に残し始めます。

ただ、その詩は、「恥ずかしいから」という理由から、生前に発表されることはなく、彼女の死後に発見され、『歳月』という題名で、約40編が収録された詩集となって出版されることとなります。

夫との死別を綴った詩は、それまでの茨木さんの詩に見える力強さなどとは一線を画し、弱く、儚く、繊細な指先で心に触れる切ない詩となっています。

その悲しみの詩の一つで、二人の生きていた日々の儚さと尊さを詠った『<存在>』という詩があります。

<存 在>

あなたは もしかしたら
存在しなかったのかもしれない
あなたという形をとって 何か
素敵な気がすうっと流れただけで

わたしも ほんとうは
存在していないのかもしれない
何か在りげに
息などしてはいるけれども

ただ透明な気と気が
触れあっただけのような
それはそれでよかったような
いきものはすべてそうして消え失せてゆくような

茨木のり子『歳月』より

死別という現実や、その悲しみの経験は、ふとこれまでの二人の時間が、本当にあったのだろうか、夢や幻だったのではないか、といった不思議な感覚にもさせます。

でも、そんな風に、私たちの存在はなにも確かではなく、あなただったような透明な気と、私だったような透明な気が、あの頃、儚げに触れ合っただけのような、そうしてみんな消え去っていくような、それはそれでよかったような、と人の存在や出会いの儚さを肯定するように綴っています。

大切な人を失った心の空白に、そっと寄り添ってくれる詩です。

宮沢賢治『永訣の朝』

詩人の宮沢賢治の妹トシは、家族のなかでもっとも関係の近かった、賢治のよき理解者でした。

その妹が、24歳という若さで亡くなります。死因は結核でした。

妹との深い結びつきのあった賢治にとって、その死は、耐え難い衝撃となって襲います。

喪失の悲しみは、いくつかの詩となり、その一編が、別れの瞬間と祈りを詠った『永訣えいけつの朝』という詩です。

永訣の朝

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨いんさんな雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜じゅんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀とうわん
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛そうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系にそうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

出典 : 宮沢賢治『永訣の朝 宮沢賢治詩集』

トシの最後の願いである「あめゆじゅとてちてけんじゃ」。

これは、「雨雪を取ってきてください」という意味で(後半の「けんじゃ」は賢治のことという指摘もあります)、兄賢治に向け、最後に、みぞれを取ってきてほしい、と願ったことが綴られています。

その妹の声が、切なく繰り返されながら、妹の願いを叶えるために駆け出していく賢治。

そして、「わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」と、旅立っていくトシへの賢治の痛切なほどの祈りの想いが綴られています。

谷川俊太郎、松本大洋『かないくん』

これは詩ではありませんが、祖父の死について書かれた絵本として、詩人の谷川俊太郎さんが文章を書き、漫画家の松本大洋さんが絵を描いた、『かないくん』という作品があります。

この絵本は、これまで紹介した詩のように、身近な存在の「死」を悼むのではなく、少し距離を置き、静かに「死」とは何か、ということが語られている絵本です。

おじいさんの子供の頃の同級生で、隣の席にいた「かないくん」。しばらく学校をお休みしたあと、突然亡くなってしまったことを知ります。

おじいさんが、このかないくんのことを思い出すのは、自身の死が近づいた、60年後のこと。そして、死とは何か、ということを考え続けたおじいさんも亡くなり、死について考える孫娘。

静かに、「死」が描写される絵本です。

人はきっとそんな風に、「死とは何か」という答えの出ない問いと向き合い続けるのかもしれません。

また、個人的には、詩人の長田弘さんの詩と、画家クリムトの絵の合わさった詩画集『詩ふたつ』のなかに入っている、『花を持って、会いにゆく』も、死の悲しみを詠った、好きな詩の一つです。

以上、死別の悲しみや、亡くなった人を思う詩と絵本でした。