日本近現代文学

宮沢賢治『春と修羅・序』の冒頭文〜わたくしといふ現象は〜

宮沢賢治『春と修羅・序』の冒頭文〜わたくしといふ現象は〜

〈原著〉

わたくしといふ現象は 
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

概要

詩人の宮沢賢治は、生前二冊の本しか出版しておらず、一冊が『注文の多い料理店』、そしてもう一冊、唯一発表された詩集(宮沢賢治本人は「心象スケッチ」と呼んだ)が、『春と修羅』です。

この詩集は、1924年4月20日に出版(実際はほとんど自費出版のような形)され、正式なタイトルは『心象スケツチ 春と修羅』。賢治自身は詩集と呼ばれるのを好まなかったようで、友人に宛てた手紙のなかで、次のように書いています。

前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。

宮沢賢治の手紙 1925年(大正14年)2月9日 森佐一あて封書

収録された作品数は、全部で69編。加えて「わたくしといふ現象は」という冒頭文で有名な「序」という構成となっています。

以下は、宮沢賢治『春と修羅・序』の全文です。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

宮沢賢治『春と修羅』

それでは、果たしてこの序文にはどういった意味や解釈が考えられるでしょうか。

詩というものには様々な解釈が成り立ちますが、ここでは、『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』のサイトにある解説を参考に紹介したいと思います。

冒頭、「わたくしといふ現象」とありますが、これは「私」というのが確固した存在ではないということを意味します。

西洋世界に由来する近代的な考え方は、明確な「私= I 」が存在すると考えられますが、これはあくまで一神教に由来する神と私の関係が根底にあります。

一方、日本では、一神教的で強固な神の存在はなく、固定的な「私」もありません(むしろ「私=我」をどのように薄めるか、といった方向に真実を探します)。

こうしたなかで宮沢賢治は、「私」を、「わたくしといふ現象」という風に表現します。私たちというのは、青い照明のように風景やみんなと一緒に明滅を繰り返す「現象」なのだ、ということです。

では、私たちを明滅させる電気エネルギーのような力とは一体なにか。

それは具体的な「神」として存在するものというよりもっと別の何かなのではないか、と考えます。

賢治は、「わたくしといふ現象」を深く深く考えることは、この世、そして宇宙を司(つかさど)る何かの力と結びついていくことだと考えました。心象をスケッチする、すなわち自分の心を言葉で書くということは、宇宙の真理を探求することにつながるのだということです。自分の心の奥へ奥へと向かっていけば、広い宇宙へとつながるのです。

出典 : 宮沢賢治の「心象のスケッチ」とは

そして、『春と修羅・序』は「第四次(元)」という言葉で締めくくられます。

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

四次元の世界とは何か。これは「時間」を指します。

賢治が賢治自身の内奥をもぐっていって描く心象風景は、今という世界のなかに限定されたものではなく、いつの時代にも常に新たに生まれるものとして、四次元の世界で生き残れる言葉である、ということを、「序」のなかで伝えたかったのではないでしょうか。