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日本近現代文学

セロ弾きのゴーシュのあらすじと用語の意味

セロ弾きのゴーシュのあらすじと用語の意味

セロ弾きのゴーシュとは

宮沢賢治の作品に、『セロ弾きのゴーシュ』という童話があります。冒頭は、次のように始まります。

ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。

出典 : 宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』

この『セロ弾きのゴーシュ』は、活動写真館の楽団でセロ(楽器のチェロのこと)を弾く主人公のゴーシュが、訪れる動物たちとの交流を経て、未熟だった演奏が素晴らしくなるという物語で、宮沢賢治の死後、1934年に発表されます。

活動写真館とは、今で言うところの映画館を意味し、当時は無声映画が主だったことから、映画館に伴奏を演奏する楽団があり、その楽団の一人としてゴーシュもいます。

活動写真館とは、もちろんいまの映画館のことです。映画がまだ無声の時期、上映には活弁(活動写真弁士)があらすじやせりふを語り、楽士が伴奏や効果音を受け持っていました。ゴーシュはその1人というわけです。

出典 : ゴーシュの時代とまち

宮沢賢治は、実際に、農民楽団の実現や自作の詩に曲をつけることを目指し、チェロを購入して練習していたこともあり、そういった経験も『セロ弾きのゴーシュ』という発想に繋がったのかもしれません。

映像化作品としては、スタジオジブリで宮崎駿監督と両巨頭として知られる、故高畑勲監督のアニメ版(制作はオープロダクション)『セロ弾きのゴーシュ』が有名です。

セロ弾きのゴーシュDVD予告編

それでは、以下、『セロ弾きのゴーシュ』のあらすじを簡単に紹介したいと思います。

あらすじ

主人公のゴーシュは、町の活動写真館の楽団に務めるチェロ奏者で、楽団は音楽会で発表する曲を練習しているものの、ゴーシュだけがなかなかうまく弾けずに団長からも厳しく叱られます。

家に帰ってからも練習しているゴーシュのもとに三毛猫が訪れ、ゴーシュの音楽を聴かないと眠れないと言って演奏を求めます。からかわれていると思ったゴーシュは激怒し、「印度の虎狩」という曲を憂さ晴らしに演奏。猫は追い出されます。

次の晩も、セロの練習をしていたゴーシュの家に、今度はかっこうが訪れます。かっこうは、「かっこうのドレミファ(音階)を学びたい」という理由で演奏を求め、そのかっこうの練習に付き合っているあいだにゴーシュ自身も音階の感覚をつかみます。しかし、結局はかっこうも追い出すことになります。

さらに、その次の晩には、狸の子がやってきて、小太鼓の係だから小太鼓の練習がしたい、と言います。この狸の子との練習をしている際に、ゴーシュの演奏の問題点を指摘され、この指摘を素直に受け入れてゴーシュは練習します。

最後にゴーシュの家に訪れたのが、野ねずみの親子です。野ねずみの親子の話によって、ゴーシュは自分の音楽が動物の病気を治すことを知り、病気だった子ねずみをセロの孔のなかに入れて演奏すると、子ねずみの具合がよくなります。

そんな風に練習を重ね、動物との交流を経て、音楽会の当日。楽団の演奏は大成功で、アンコールの演奏者として指名されたのは、ゴーシュでした。きっとからかわれて指名されたのだろうと思ったゴーシュは立腹し、「印度の虎狩」を目一杯に演奏します。

その演奏に対して、観衆は熱心に聴き入り、団長もゴーシュの演奏を褒め称えます。動物たちとの交流によって、気づかないうちに成長していたのでした。

家に帰ったゴーシュは、物語の最後、窓の外の遠くの空に向かってかっこうに謝ります。

用語の意味

宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』は、古い作品なので、馴染みのない単語も出てきます。以下は、作中に登場する用語の意味の簡単な解説になります。

セロ

セロは、西洋音楽で使われるヴァイオリン属の楽器のチェロのことです。弦の数は4本で、セロと表記されることもあります。

バイオリンの大きさが約60センチメートルなのに対し、チェロは、その2倍の約120センチメートルとなります。

活動写真

活動写真とは、現在の映画を意味します。明治、大正時代に使われた呼称で、単に「活動」と呼ぶこともあります。

活動写真という言葉は、motion pictureの直訳に由来し、大正後期から映画という言葉が広く普及するようになります。

丁稚

丁稚でっちとは、商家や職人のもとに年季奉公した年少者を意味します。実際に商家などに丁稚として奉公することを丁稚奉公でっちぼうこうと言います。

音楽を専門にやっているぼくらがあの金沓鍛冶かなぐつかじだの砂糖屋の丁稚でっちなんかの寄り集りに負けてしまったらいったいわれわれの面目めんもくはどうなるんだ。おいゴーシュ君。君には困るんだがなあ。表情ということがまるでできてない。おこるも喜ぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。

出典 : 宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』

ちなみに、主人公の「ゴーシュ」という名前は、フランス語で不器用を意味するgaucheという言葉に由来する説、フランス語でかっこうを意味する言葉に由来する説、チェロの擬音語に由来する説などがあります。

以上、宮沢賢治の童話『セロ弾きのゴーシュ』のあらすじと用語の意味でした。