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日本近現代文学

山村暮鳥『自分はいまこそ言はう』意味と解説

山村暮鳥『自分はいまこそ言はう』意味と解説

山村暮鳥は明治17年(1884年)に群馬県の現在の高崎市に生まれ、大正13年(1924年)に肺結核のため40歳で亡くなった詩人、児童文学者です。

山村暮鳥というのは、「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味のペンネームで、本名は土田八九十はくじゅうといいます。

詩集は、死後に出版されたものも含め、五冊出版され、そのうち、以下は、『風は草木にささやいた』収録の『自分はいまこそ言はう』という詩の全文です。

『自分はいまこそ言はう』

なんであんなにいそぐのだらう
どこまでゆかうとするのだらう
どこで此の道がつきるのだらう
此の生の一本みちがどこかでつきたら
人間はそこでどうなるのだらう
おお此の道はどこまでも人間とともにつきないのではないか
谿間たにまをながれる泉のやうに
自分はいまこそ言はう
人生はのろさにあれ
のろのろと蝸牛ででむしのやうであれ
そしてやすまず
一生に二どと通らぬ道なのだからつつしんで
自分は行かうと思ふと

この詩は、旧仮名遣いではありますが、一つ一つの単語自体は決して意味の難しいものではありません。

タイトルにある通り、「自分はいまこそ言おう」という強い思いや考えを詠った詩です。

最初、社会における「生」について問いかけます。

なんであんなに急ぐのだろう、どこまで行こうとするのだろう、どこでこの道が尽きるのだろう、と。

冒頭で、「なんで“こんなに”急ぐのだろう」ではなく、「なんで“あんなに”急ぐのだろう」と書いていることからも、自分自身というより、社会全般のありようについて呟くように発した言葉ということが伝わってきます。

しかし、まもなく「この道」という表現となり、自分も含めた人間全般に対象が広がっていきます。

人々は、なぜあんなに急ぐのか、どこへ行くのか、僕たち人間の進むこの道が、いつか尽きたとき、人間はどうなってしまうのだろう。

そして、暮鳥は気づきます。もしかしたら、この道というのは、人間とともに尽きることはないのではないか、終わることはないのではないか、谷間を流れる泉のように、と。

その発見があり、だからこそ、「自分はいまこそ言おう」と思います。

人生はのろさにあれ、と。

自分の人生で見る景色は、全てがただ一度きり。たとえ同じ場所でも、子供の頃に見る景色と、大人になって見る景色では違って見えるでしょう。ほんとうは、昨日と今日でも違います。

だからこそ、蝸牛(カタツムリ)のように、ゆっくり歩いていこう、と。

結果が全て、という言葉もありますが、この山村暮鳥の詩はむしろ、過程をしっかり味わおう、そこにこそ、生きることの本質がある、と詠っていると言えるかもしれません。