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日本近現代文学

石川啄木〜いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ〜意味と解釈

石川啄木〜いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ〜意味と解釈

〈原文〉

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ

〈現代語訳〉

命のない砂の儚くも悲しいことよ 握れば指のあいだからさらさらと落ちてゆく

概要

石川啄木は、本名石川はじめと言い、明治19年(1886年)、岩手県に生まれた歌人で、明治45年(1912年)に26歳で結核のため亡くなります。

中学時代に文芸誌の『明星』に掲載されている与謝野晶子らの短歌や、学校の上級生らの影響を受け、啄木は文学の道を志すようになります。しかし、カンニングや成績の悪さを理由に、17歳で盛岡中学を退学。

その後、上京し、『明星』に詩や短歌を発表。石川啄木というペンネームも、この頃から使うようになります。

石川啄木は、明治38年(1905年)、盛岡にいた頃から恋愛が続いていた堀合節子と結婚。

明治39年(1906年)、故郷の渋民村で代用教員となりますが、翌年には北海道に移り、職を転々と変えたあと、再び上京。

明治43年(1910年)、歌集『一握の砂』を発表します。

この「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ」という一首も、『一握の砂』に収録されています。

全体的に、平易な言葉で映像的な短歌なので、意味自体が分からない単語などはないと思います。

命のない砂の儚い悲しさ。そして、その砂を握ったら、指のあいだからさらさらと落ちてゆく。

この指のすきまからこぼれ落ちる砂の描写については「砂時計」のイメージと重なります。

砂時計は、砂がさらさらと落ちていく光景に、決して逆戻りすることのない時間の流れと儚さを感じさせます。

この啄木の短歌では、その落ちてゆく砂の一粒一粒が、時間の流れであるというだけでなく、ひとりひとりの人間の命という風にも解釈できるかもしれません。

いずれにせよ、こぼれ落ちていく砂の儚さに、命の儚さを託していると言えるのではないでしょうか。

この一首は第三句の「さらさらと」という表現が効果的で、はかない砂に託して己が生命を哀惜する作者の虚無的な心情が歌われており、歌集『一握の砂』の書名を暗示する秀作である。

出典 : 『石川啄木(短歌シリーズ・人と作品10)』

歌集のタイトルとなっている『一握の砂』のイメージとも大きく重なるものでしょう。