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和歌・短歌

うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき

うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき

〈原文〉

うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき

〈現代語訳〉

うたたねの夢のなかで恋しいあのひととお会いして以来、(ただ儚いと思っていた)夢というものを頼みにし始めるようになったのです。

概要と解説

作者の小野小町おののこまちは、平安時代前期の歌人で、小野たかむらの孫という指摘もあります。

また、女官として宮廷に仕えていたという話もありますが、生没年や本名含め、小野小町について詳しいことは分かっていません。

出生地に関しては、秋田県の湯沢市が有力な説としてあり、「あきたこまち」の名前の由来にもなっています。

言い伝えによれば、小野小町は絶世の美女として知られ、和歌の才能にも秀で、多くの男性に愛されたそうです。

小野小町は、長生きだったとも言われてますが、ただ、晩年はおちぶれ、哀れなものだったという説もあり、いずれにせよ、素性に関しては謎の多い女性となっています。

恋の歌が『古今和歌集』などにあり、当時の代表的な歌人である六歌仙、三十六歌仙の一人でもあります。

鈴木春信『小野小町』(wikipedia)

この「うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき」という和歌は、『古今和歌集』に収録され、小野小町の有名な恋の歌として知られています。

和歌全体を現代語訳すると、「うたたねの夢のなかで、恋しいあの人とお会いして以来、(ただ儚いと思っていた)夢というものを頼みにし始めるようになったのです。」という意味になります。

うたた寝、というのは、寝るつもりはなかったのに、とこに入らないままで、ついうとうとと眠ってしまうことを意味します。

うたた寝しているときに、恋しいあの人を夢で見て以来(「見てしより」とは、「見てし時より」という意味です)、ただ儚く頼りのないものだった「夢」というもの(夢てふ物)を、頼りにするようになってしまった(たのめてき)、という歌です。

小野小町は、それまで夢をそれほど頼りにはしていなかったのでしょう。

しかし、夢のなかで彼と出会って以来、恋しい人と逢うための方法として、夢を頼りにする、大切にするようになってしまった、という切ない恋心が伝わってくる歌です。

この感情というのは、現代の感覚としても、分かりやすく、共感しやすいものがあるのではないでしょうか。

自分にとって儚いものだった夢に、恋する人が出てきてしまってから、夢で会えることが嬉しくて、夢を頼りにしてしまうようになる、というわけです。

この当時は、相手が自分を想ってくれていると、夢に出てくる、と信じられていたことから、余計に、恋心と、会えない悲しみとがつのった想いが歌われているのでしょう。

小野小町には、この「うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき」という和歌の他に、「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」という恋と夢にまつわる和歌も残しています。

この歌を現代語訳すると、「想いながら眠りについたから、(あの人が)夢に出てきたのだろうか。もし夢とわかっていたなら(夢から)覚めなかったでしょうに」という意味になります。

人というのは、想っている人を指します。

最後の「〜せば……まし」とは、「反実仮想」と言い、「もし〜だったら……だったろうに」という意味になります。

事実に反することを想定し、仮に想像することから、「反実仮想」と言います。

この歌の場合、「夢と知りせば覚めざらましを」とあり、「もし夢だと知っていたら、覚めなかっただろうになぁ」といった意味合いになります。

恋い焦がれる人のことを想いながら眠ったら、あの人が夢に出てきた。ああ、ずっと夢のなかにいたかった、という切ない恋心を詠んでいます。