宮内卿〜うすくこき野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむら消え〜意味と解説
〈原文〉
うすくこき野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむら消え
〈現代語訳〉
野原の緑の若草の色が薄いか濃いかによって、(解けるのが早かったり遅かったりの)雪がむらになって消えた跡まで見えるよ。
解説
作者の宮内卿は、後鳥羽院宮内卿とも言い、鎌倉時代の歌人で、源師光の娘です。
生没年に関しては不明ですが、元久元年(1204年)頃に、20歳前後で若くして亡くなったと考えられています。
新三十六歌仙の一人で、勅撰和歌集の『新古今和歌集』に多数の作品が掲載されるなど、宮内卿は歌の才能を高く評価されていましたが、和歌に熱中したあまり、体を壊し、夭折したと言われています。
清原雪信『後鳥羽院宮内卿』
この「うすくこき野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむら消え」という和歌は、『新古今和歌集』収録の歌です。
下の句の「むら消え」とは、「雪などがむらになって、ところどころに消え残っていること」を意味します。
春になるまで積もっていた雪の解け具合が遅く草の芽吹くのに時間がかかった辺りは若草の色も薄く、早くに雪が解けて芽吹くのも早かった辺りは緑の色が濃くなっている野原の様子を詠んだ写実的な歌です。
薄かったり濃かったりの若草のまだらな光景から、雪のむら消えの様を想像して歌にしたのでしょう。
宮内卿は、この和歌が評判となり、「若草の宮内卿」と呼ばれるようになります。