藤原義孝〜君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな〜意味と解説
〈原文〉
君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな
〈現代語訳〉
あなたのためなら惜しくもないと思っていた命さえも、(こうして逢瀬を遂げたあとになってみれば)できるだけ長く生きたいと思うようになりました。
解説
作者の藤原義孝は、平安時代中期の公家であり歌人です。天暦8年(954年)に生まれ、天延2年(974年)に病のため若くして亡くなります。
義孝は仏教への信仰心が篤く、信仰心を示す逸話も残っています。また、容姿も優れた美男子として有名でした。
『世尊寺の月』(月岡芳年『月百姿』)
この「君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな」という和歌は、『後拾遺和歌集』収録の恋の歌です。
詞書として、「女のもとより帰りてつかはしける」と添えられ、これは、女のもとから帰ってきたあと、使者に持たせて書き送った歌であることを意味します。
冒頭の「君がため」とは、「あなたのため」という意味で、この歌で言えば、「あなたに逢うために」といったニュアンスになるでしょう。
次に続く「惜しからざりし」とは、「惜しいとは思わなかった」という意味で、「ざりし」の「し」は、過去の助動詞「き」の連体形です。
下の句の「ながくもがな」は、「もがな」が願望を表し、「長くあってほしい」という意味で、最後の「思ひけるかな」は、「思うようになった」という意味になります。
この歌全体を現代語訳すると、「あなたのためなら惜しくもないと思っていた命さえも、(こうして逢瀬を遂げたあとになってみれば)できるだけ長く生きたいと思うようになりました。」という風に解釈できるでしょう。
どうしてもあなたと逢いたい、あなたとの逢瀬のためなら命も惜しくない、と思っていた。
しかし、実際に逢瀬を終え、あなたをより深く知ってしまったら、長生きがしたいと願うようになった、という強い恋の想いを詠んだ歌です。
一度だけでも会えたら死んでもいい、と思っていたのに、実際に会えたら、そして恋が叶ったら、もっと一緒に長く生きていたいと思う、現代の感覚でも、とてもよく分かる恋愛の歌なのではないでしょうか。