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名言・名文

岡潔〜スミレはただスミレのように咲けばよい〜

岡潔〜スミレはただスミレのように咲けばよい〜

数学者の岡潔が残した有名な言葉に、「スミレはただスミレのように咲けばよい」という随筆集の一節があります。

岡潔は、明治34年(1901年) に生まれ、昭和53年(1978年)に亡くなる数学者で、天才であり、またその天才性ゆえか、変人としても知られています。

加えて、「情緒」を重んじた数学者で、数学の世界だけでなく、仏教や日本文学の世界にも精通し、『春宵十話』などの代表的な随筆を残しています。

この「スミレ」に関する一文も、1963年に出版された『春宵十話』のはしがきに登場します。

私は、人には表現法が一つあればよいと思っている。それで、もし何事もなかったならば、私は私の日本的情緒を黙々とフランス語で論文に書き続ける以外、何もしなかったであろう。私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。

出典 : 岡潔『春宵十話』

生きていると、「生きている意味」のようなことに思い悩むこともあるかもしれません。

また、誰か他人と比較して、自分はなんて足りないんだろう、あの人が羨ましい、と思うこともあるでしょう。

生きている意味などない、と言うと、だったら死んだほうがいいではないか、となってしまうかもしれませんが、その感覚自体が、生きている意味は絶対にないといけない、という強迫観念に根ざしたものと言えるのではないでしょうか。

スミレが咲いている。そのこと自体に意味はなく、ただスミレのように咲いている。

スミレが咲いていることによって、春の野(人類全体)にどれほどの利益があるのかと問われても、スミレ自身はそんなことは分かりません。

ただ一つの表現方法があったなら、その表現を淡々としていく。自分に合った表現を模索し、歩んでいく。

どんな意味があるのか、どんな利益があるのか、と言われても、ひとまずそれは脇に置いておく。

スミレの生を生き切る。

ふと道に迷ったときに、岡潔の「スミレはただスミレのように咲けばよい」という言葉を思い出すと、ほんの少し心が楽になるかもしれません。