「悲しい」の語源や「哀しい」との違い
普段、日常的によく使われる感情を表現する用語に、「悲しい」という言葉があります。
目標を達成できずに「悲しい」、大切な人との別れによって「悲しい」、ただただ意味もなく「悲しい」など、様々な場面で様々な度合いの「悲しい」があります。
幼い頃にいつの間にか芽生える「悲しい」という感情、そして、その「悲しい」の数が増えていくことは、出会いがあり、別れがある以上は、「生きる」ことにとって不可避のものとも言えるでしょう。
また、それゆえに、その悲哀を和歌や詩を通して表現するなど人々のあいだに文芸が育まれていった側面もあるのでしょう。
さて、その「悲しい(かなし)」という言葉ですが、本来はもう少し幅広いニュアンスがあるものの、現代では、主に「心が痛んで泣けてくるような気持ちである。嘆いても嘆ききれぬ気持ちだ。(コトバンク)」という意味合いが一般的です。
この「悲しい」という言葉の語源を探ると、「しかねる」の「かね」と同根で、「自分の力ではとても及ばないことを感じる切なさ」という感覚に起源があるという説があります。
「かなし」は、「かね」の、力及ばず、事を果たし得ない感じだというところにその起源があるのではあるまいか。前に向かって張りつめた切ない気持が、自分の限界に至って立ち止まらなければならないとき、力の不足を痛く感じながら何もすることができない状態、それがカナシである。
出典 : 大野晋『日本語の年輪』
何かをしようとしても、どうしてもできない、しかねる、そのときの届かない、切ない感情が「かなし」であり、そのために、(「愛し」という漢字も当てるように)古くは、「いとしい、かわいい、すばらしい、嘆かわしい、心が痛む」など、物事に触れて切に感情が動く様を広く意味したのではないかと考えられています。
月岡芳年『月百姿』(はかなしや波の下にも入ぬへし つきの都の人や見るとて 有子) 1886年
もう一つ、漢字の「悲」についてですが、「非」は、「羽が左右に開いたさま……心が調和統一を失って裂けること。(『漢字源』)」と説明されています。
心の上に、左右に分かれた羽。裂ける様子が表されているのが、「悲」という漢字の成り立ちです。
切ない、苦しい、痛ましいほど悲しいとき、「胸が裂ける」と表現しますが、まさに二つに裂かれる様が、「悲」には込められているのでしょう。
かなしみ
このかなしみを
ひとつに 統ぶる 力はないか
また、「かなしい」は、「悲しい」以外に「哀しい」という漢字を使うこともあります。
両者の漢字については、どのような違いが挙げられるでしょうか。
二つの「かなしい(悲しい、哀しい)」に際立った意味の違いはありませんが、「哀」の漢字の成り立ちを見ると、「口」と「衣」であり、これは、衣で口を隠して胸のなかの想いを抑えてむせぶことを表し(別の説もあり)、それゆえ、「哀しい」という字は、より内側の心情を表現するものとして、詩的で主観的な場面で使われることも多い表記となっています。
加えて、「哀」には、「哀愁」や「哀れ」といった言葉もあるように、かわいそうな、寂しい、といったニュアンスも感じられます。
ただし、「かなしい」の常用漢字として登録されている字は「悲しい」であり、公用文では「かなしい」に関して「哀しい」ではなく「悲しい」を使用することが基本となっています。