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名言・名文

中原中也の「名言」

中原中也の「名言」

中原中也は、1907年に山口県で生まれ、1937年に病によって30歳という若さで亡くなる日本の詩人です。

詩集は『山羊の歌』と『在りし日の歌』の二冊で、代表作に、『汚れつちまつた悲しみに……』『サーカス』『月夜の浜辺』などがあります。

代々開業医の長男で、跡取りとして期待され、子供の頃は神童と称されるほど成績もよかったものの、8歳の頃に弟が病死したことで文学に目覚め、中学では成績も急降下。落第をきっかけに親元を離れます。

以降も、一貫して詩人の道を歩み続け、長谷川泰子との出会いと別れや、生まれたばかりの長男文也の死など、悲しみの詩人として生涯を全うした中原中也。ただ、生前は、詩人としてほとんど無名の存在でした。

そういった事情もあってか、当時、すでに映像や音声を記録する機械はあったものの、中原中也の動いている映像や肉声は記録としては残っていません。

中也は、よく友人らの前で、自身の詩を感情を込めて朗読しました。しかし、そのたびに周囲は辟易し、場は白けたそうです。中原中也の死後、友人の一人であった美術評論家の青山二郎は、中也の声を残しておけばよかったと語っています。

残念ながら、あるいは幸いなことに、読者は、周囲の人々の思い出や手紙から、中原中也の動いている姿や声を想像する以外にありません。

そんな中原中也の「人物像」を、ありありと浮かび上がらせるおすすめの本として、一風変わった「名言集」があります。

彩図社により、中原中也生誕百周年記念企画として出版された、『名言 中原中也』です。

この本は、中原中也の日記や手紙、また中也の死後、家族や友人らが中也との思い出を語った文章から、中也本人の「肉声」だけをまとめた、とても珍しい「名言集」です。

本書は、友人の章から始まり、恋人、幼少、芸術、文也、生活、母親、最後に名詩十選という構成となっています。

以下、この「名言集」から、中原中也の「肉声」による言葉を紹介したいと思います。

これは幼い頃、中也が口癖にしていた言葉です。「いいのよ」と答えても、「ほんとかね」と繰り返したそうです。

なにか幼心に不安や心細さがあったのでしょうか。

中原中也は、性格の素直さゆえか、酒癖の悪さゆえか、周囲には傍若無人に映るような振る舞いをしていたことでも知られています。

身長は150cmほどだったとも言われ、小柄ながら、色々な人にすぐに喧嘩を吹っかけていたようです。

数少ない生涯を通じて付き合いの続く一人の高森文夫にも、初対面にもかかわらず、「俺はそのていねいな言葉というヤツが大嫌いなんだ」などと吐き捨てます。

中原中也と交友関係があり、長谷川泰子との奇妙な三角関係があったことでも知られる評論家の小林秀雄。

中也は、小林の家で文学仲間と議論していたこともあり、そのとき、酒が入っていないと大人しくしていても、泥酔すると、すっかり変わってしまうようです。

酔っ払った中也が、「やい、哲学者!」と言いながら、猫を追いかけては軽やかに逃げられている様子が伝わってきます。

体調を崩した息子の文也が、その後亡くなることになるなど思ってもいなかった、文也の死の直前の中也の日記です。

文也の死によって、中也は精神的にもひどく取り乱し、病院に入院させられることになります。

そして、その影響もあってか、すっかり疲弊し、文也の死から一年ほどで中也自身も亡くなります。

小説家の牧野信一の自殺に関して書いた文章の一節。

生涯に渡って、死が近かった中也にとって、「恐らく、人が、思はず云ひ過ぎをしてしまふやうに、自殺も、思はずしてしまふやうなものに相違ない。」というのは、実感だったのかもしれません。

ただし、中也自身は、自殺を試みることはなく、あくまで生きようとした詩人でした。

中原中也の有名なエピソードであり、ある種の名言として知られる言葉です。

無職だった中也は、一度だけ就職活動でNHKの面接を受けたことがあります。

そのとき履歴書の備考欄に、「詩生活」とだけ書き、「これでは履歴書にならない」と言った面接官に対して、中也は、「それ以外の履歴が、私にとって何か意味があるんですか」と返します。

全く売れっ子作家というわけでもないなかで、この言葉を言える辺りに、中也の詩人としての矜持と自信が伺えます。

生活の隅々まで詩について考え続け、そして書き続けた中原中也だからこその深い想いと思想が込められた名言と言えるでしょう。

この中也の名言集は、選ばれた言葉もバランスがよく、横に小さく書かれた解説や注釈も分かりやすく、中也の人となりがしみじみと伝わってくる一冊となっています。

中原中也の死後、小林秀雄は、彼について、「詩人というよりも告白者だ」と語っています。

彼の詩は、彼の生活に密着していた、痛ましい程。笑おうとして彼の笑いが歪んだそのままの形で、歌おうとして詩は歪んだ。これは詩人の創り出した調和ではない。中原は、言わば人生に衝突する様に、詩にも衝突した詩人であった。彼は詩人というより寧ろ告白者だ。

 小林秀雄『中原中也の思い出  –  小林秀雄全作品第17集 私の人生観収録』より

中原中也の詩は、中也自身の「生活」と分かち難く結びついていました。

中也のこの名言集を読んだあとで中也の詩を読むと、小柄な身体には大きめの椅子にあぐらで座り、得意げに、そしてどこか寂しげに朗読する中也の姿が浮かんでくるようです。

以上、詩人中原中也の少し変わった「名言」でした。