あけぼのとつとめての違い【古文】
平安時代に清少納言によって書かれた『枕草子』は、鴨長明『方丈記』、吉田兼好『徒然草』とともに日本三大随筆の一つに数えられています。
この『枕草子』では、冒頭に春、夏、秋、冬、それぞれの季節の趣ある光景が柔らかな文体で描写されます。

枕草子の冒頭「春はあけぼの」全文の意味枕草子の冒頭「春はあけぼの」全文の意味
〈原文〉
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたな...
春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて。それぞれに美しい時間帯が紹介され、そのあとに具体的な光景が描かれます。
夏と秋は、「夜」と「夕暮れ」という風に文字通りで分かりやすいものの、春の「あけぼの」と冬の「つとめて」は、日頃はあまり使われることはないかもしれません。
曙というのは、夜がぼのぼのと明けていく、夜明け頃のことを指します。
一方で、つとめて、というのは、漢字で「夙めて」と書き、早朝を意味します。
あけぼのと、つとめての違いは、「あけぼの」が、「夜明け頃」を指すのに対し、「つとめて」というのが、夜明けからまもない「早朝」を意味する点にあります。
そのため、時間帯的に言えば、「あけぼの」のほうが早い時間帯になります。