〈景品表示法に基づく表記〉当サイトは、記事内に広告を含んでいます。

名言・名文

弓道の名言

弓道の名言

日本では、剣道や柔道、華道など、様々な分野において「道」という文化が存在しますが、その一つとして「弓道」もあります。

弓道は、ゆみの道と書きます。弓とは、弾力性のある竹や木などに弦を張り、その弾力を利用し、矢を飛ばす武器です。

動画 : 弓道は、永遠に、求道。Kyudo, an endless search for the truth.

弓道は、もともと「弓術」と呼ばれ(参照 : 弓道と弓術の違いとは)、この弓術に関する有名な本として、哲学者のオイゲン・ヘリゲルが、自身の稽古の経験を踏まえ、母国で行なった講演録を書籍化した『日本の弓術』があります。

的にあてることを考えるな、ただ弓を引き矢が離れるのを待って射あてるのだ、という阿波師範の言葉に当惑しながら著者(1884‐1955)は5年間研鑽を積み、その体験をふまえてドイツに帰国後講演を行なった。

ここには西欧の徹底した合理的・論理的な精神がいかに日本の非合理的・直観的な思考に接近し遂に弓術を会得するに至ったかが冷静に分析されている。

出典 : オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』

オイゲン・ヘリゲルは、1884年生まれで、1955年に亡くなったドイツの哲学者です。

日本での弓術の修行を通して学んだ「禅」の思想の紹介者としても知られています。

ヘリゲルは、1924年に東京帝国大学に招かれ、妻と来日。1929年まで哲学を担当します。

その期間に、より日本文化を深く学びたいと、大学の弓道部師範である阿波研造あわけんぞうのもとで指導を受けます。

阿波研造は、1880年生まれで、1939年に亡くなる日本の弓術家で、技術としての弓ではなく、精神鍛錬の側面に重きを置き、「弓聖」と称えられています。

>>阿波研造(あわ・けんぞう)―弓道範士(石巻市)―「禅」思想 世界に広める

この『日本の弓術』は、ヘリゲルが弓術の修行を通して経験した葛藤や苦悩、学びを、帰国後に講演で語り、その日本語訳として1941年に出版された講演録です。

岩波文庫で、本文自体はわずか70ページほど、翻訳もとても読みやすい日本語で書かれ、西洋文化と東洋文化の違いが、ヘリゲルの葛藤から深く読み取れる良書です。

ヘリゲルが弓術を学び始めた当初、阿波研造は、弓を放った様子を見せた後、まず重要な点として、弓術はスポーツではなく、精神的なものであると告げます。

「弓術はスポーツではない。したがってこれで筋肉を発達させるなどということのためにあるものではない。あなたは弓を腕の力で引いてはいけない。心で引くこと、つまり筋肉をすっかりゆるめて力を抜いて引くことを学ばなければならない。」

出典 : オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』

こうした助言をもとに、地道に稽古を続けていくものの、どうしても行き詰まったヘリゲルに、阿波師範は再び助言を与えます。

一つは呼吸法。肺呼吸ではなく、腹で呼吸することで、力の中心が下方に移り、両腕の力が緩んでいく。

もう一つは、無心になることでした。

「あなたは意志をもって右手を開く。つまりその際あなたは意識的である。あなたは無心になることを、矢がひとりでに離れるまで待っていることを、学ばなければならない。」

出典 : オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』

この助言に、ヘリゲルは、「無になってしまわなければいけないと言われるが、それではだれが射るのですか」と本質的な問いかけをします。

確かに、力を抜き、意志を「無」にすれば、矢を放つ「主体」が存在しなくなります。

一体、誰が矢を射るのか、という問いに、阿波研造は、次のように答えます。

「あなたの代わりにだれが射るかが分かるようになったら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。」

出典 : オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』

それからしばらく経ち、ヘリゲルは最後の課題を与えられます。

これまでは、的代わりとして2メートルの位置に藁束を置いていましたが、いよいよ正真正銘の的を、60メートル離れた場所に置き、射抜く、という段階となります。

そのとき、師範は、手本を見せたあと、自身の弓術の思想の根幹と言える、宗教的、禅的な言葉を、ヘリゲルに語りかけます。

「私のやり方をよく視ていましたか。仏陀が瞑想にふけっている絵にあるように、私が目をほとんど閉じていたのを、あなたは見ましたか。

私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいてくるように思われる。そうしてそれは私と一体になる。

これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私が仏陀と一体になれば、矢は非有ひうの不動の中心に、したがってまた的の中心に在ることになる。

矢が中心に在る ── これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心に入るのである。

それゆえあなたは的を狙わずに自分自身を狙いなさい。するとあなたはあなた自身と仏陀と的とを同時に射中いあてます。」

出典 : オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』

以上のように、『日本の弓術』は、読みやすい翻訳で、随所に、禅に通じる弓術の名言も数多く登場し、禅と弓術の真髄に触れることが可能な一冊となっています。