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短歌

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき 与謝野晶子

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき 与謝野晶子

〈原文〉

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき

〈現代語訳〉

清水に行こうとして祇園を通ると、桜が咲き誇る月夜の今宵、出逢う人々はみんな美しい。

概要と解説

作者は、歌人の与謝野晶子よさのあきこです。与謝野晶子は、本名をほうようと言い、1878年(明治11年)に現在の大阪府堺市で生まれ、1895年(明治28年)頃から歌を雑誌に投稿するようになります。

与謝野晶子が亡くなったのは1942年(昭和17年)で、明治、大正、昭和と生き、短歌以外にも婦人問題や教育問題を論じるなど、幅広い分野で活躍します。

与謝野晶子

若い頃に、与謝野鉄幹と恋愛関係となり、その後、1901年に結婚。同年には、第一歌集『みだれ髪』を鉄幹プロデュースで発表し、恋愛感情を素直に表現した歌が反響を呼びます。

この「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」という短歌も、『みだれ髪』に収録されています。

教科書で読んだことがある、という人もいるかもしれません。

それでは、この短歌は、一体どういった意味や心情が詠まれた歌なのでしょうか。

季節は春で、桜の咲く春の夜の一場面です。清水というのは、京都の清水寺のことで、その清水に向かう途中、祇園を通り過ぎると、桜が咲き誇っており、夜空は月も綺麗です(春の幻想的な朧月だったのかもしれません)。

作中の「桜月夜」の読み方は「さくらづきよ」で、桜が咲き誇り、その花々が月夜に映える様を意味します。

この「桜月夜」という言葉は、後々、与謝野晶子自身によって、「花月夜」という言葉に改稿されます。

いずれにせよ、桜の花が咲き、月によって映える、夜桜が美しい祇園の光景が描かれています。

そして、清水に向かう途中の桜月夜の祇園では、今宵こよひ逢う人はみな美しい、という形で歌が終わります。

近代に入ってからの割と最近の短歌なので、特別な現代語訳は必要ないでしょうが、あえて行うとすれば、「清水に行こうとして祇園を通ると、桜が咲き誇る月夜の今宵、出逢う人々はみんな美しい。」となるでしょう。

この出会う人々の様子が、どんな雰囲気だったか、具体的な描写はありません。なぜ美しいか、というのは、その一人一人の姿や衣服などにあるのではなく、こんな春の夜の桜や月の美しさのなかで出会う人たちは、みんなが美しいと感じられる、という心情を詠んだのでしょうか。

確かに、こんな風に世界が穏やかに彩られているなかでは、なにもかもが満たされ、出会う人もみんな美しい、という心境になることもあるでしょう。

また、作者自身のもともとの心情も世界の見え方には大きく左右してくるでしょうから、恋人と一緒に歩いていたり、何か良いことがあったのかもしれません。

恋人と一緒に、祇園の桜月夜のなかを歩いていたら、出会う人もみんな美しく見える。

あるいは、清水に、恋人が待っている、という背景があるのかもしれません。待ち合わせの場所に向かう途中、心もうきうきとしている道すがら、春という季節、桜と月も美しい。

こんな夜には、全てが美しい、といった、きらきらとした思いも伝わってくるような短歌ではないでしょうか。