街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る
〈原文〉
街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る
〈現代語訳〉
街を歩いているとき、子供のそばを通ったら、ふと匂ってきた蜜柑の香り。ああ、冬がまた来るんだなぁ。
概要
作者の木下利玄は、岡山出身の歌人で、明治19年(1886年)に生まれ、大正14年(1925年)に39歳という若さで病によって亡くなります。
本名は利玄ですが、歌人としては、利玄という名前で通っています。
東京大学国文科を卒業。12歳の頃から歌人の佐佐木信綱に師事し、明治43年(1910年)、志賀直哉、武者小路実篤ら『白樺』を創刊、主に短歌を発表します。
口語や俗語を使用し、平易な言葉で歌った作風は、利玄調と呼ばれました。
この「街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る」という短歌も、意味としてはとても分かりやすい作品となっています。
下の句の「みかんの香せり」の「香せり」とは、「り」が完了の助動詞で、「香りがした」という意味になります。
昔は、今よりもずっと果物によって季節を感じることができたのでしょう。
木下利玄の短歌に描かれている果物はみかんです。みかんと言えば、「こたつにみかん」の組み合わせが、冬の風物詩として連想されます。
秋は柿、梨、桃などが豊富に出まわり、文字どおり味覚の秋を実感させてくれるが、冬になるとなんといっても蜜柑が主役。色彩がしだいに乏しくなっていく中にあって、鮮やかな蜜柑色がしだいに店頭に増えていくのを見ていると、冬の到来を感じさせるとともに、年の瀬を迎える気持ちも重なって、なんとなくうきうきしてくる。
すっかり肌寒い街を歩き、子供たちのそばを通りかかったときに、子供のなかの誰かが食べた、みかんの香りがふっと漂い、匂ってきたみかんの香りに作者は冬の訪れを感じます。
利玄は、この短歌を詠んだ頃に、我が子を亡くしていることから、子供に優しい眼差しを注ぐとともに、どこか悲しみも秘めた歌なのかもしれません。
木下利玄の代表的な短歌としては、他に、「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」や、「曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径」があり、みかんと子供をモチーフにした歌では、「子供ゐてみかんの香せり駄菓子屋の午後日のあたらぬ店の静けさ」 などがあります。