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和歌・短歌

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲〜意味と現代語訳〜

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲〜意味と現代語訳〜

〈原文〉

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲

〈現代語訳〉

秋の暮れの奈良の薬師寺の塔の上にある、ひとひらの雲よ

概要と解説

この歌の作者の佐佐木信綱のぶつなは、明治5年(1872年)生まれで、三重県の鈴鹿出身の歌人です。

国学者の父弘綱の教えのもと、幼少期から短歌をつくり、東京帝国大学文学部に進学。大学卒業後には、機関紙『心の花』を創刊します。

東京帝国大学で和歌史の教授をしながら、多数の研究所や歌集を残し、昭和38年(1963年)、91歳で亡くなります。

この「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」という短歌は、佐佐木信綱の代表作として知られている歌です。

教科書で学んだ、という人も少なくないかもしれません。

それでは、この歌は、一体どんな情景を詠んだ短歌なのでしょうか。

冒頭の「ゆく秋」とは、「晩秋、秋の暮れ」を意味しています。季節は、晩秋。それから、歌のなかには、場所も書かれています。大和の国とは、現在の奈良県を指します。

秋の終わり頃、奈良の薬師寺にある日本一美しいと言われる東塔、その塔の上に浮かぶ一ひらの雲。

繰り返される「の」が特徴的で、リズミカルで音楽的な上に、まるで塔のような構造になっているのも、この短歌の魅力です。

朗読してみると、塔が空に向かって伸びていき、その塔の先に、一ひらの雲が浮かんでいる情景が思い描かれるのではないでしょうか。

また、最後を「一ひらの雲」と体言止めにしていることによって、塔の上にある一ひらの雲よ、と余韻を残しています。

季節も、「ゆく秋」という表現によって、どこか寂しげな情景を思わせる効果もあるかもしれません。

奈良県の薬師寺の境内には、佐佐木信綱の短歌が刻まれた歌碑が建っています。

薬師寺 東塔と中門

薬師寺は、奈良県の西の京町にある天武天皇9年(680年)に建てられた古寺で、東塔は国宝になっています。

奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山。天武天皇9年(680)皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈って造立起願され、文武天皇2年(698年)にできた。初め飛鳥に建てられたが、のち藤原京に移され、平城京遷都に伴い養老2年(718年)現在地に移転。もとのものを本薬師寺と呼ぶ。

出典 : 薬師寺|コトバンク

この歌が詠まれた頃は、まだ西塔は再建されていなかったようなので、作者は、美しい東塔と、その空に浮かぶひとひらの雲の景色を、歴史に想いを馳せながら詠んだのでしょう。

以上、佐佐木信綱の歌「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」の意味と現代語訳でした。