「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
〈原文〉
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)
概要
俵万智さんは、1962年、大阪府生まれ、福井県育ちの現代日本を代表する歌人の一人です。
俵さんは早稲田大学第一文学部に入学後、「心の花」を主宰している佐佐木幸綱さんに師事し、短歌の世界に入ります。
心の花とは、歌人の佐佐木信綱が創刊した、歌壇最古の歌誌で、現在は、孫の幸綱さんが運営しています。
佐佐木信綱が1898年(明治31)2月に創刊した歌壇最古の歌誌。初期数年は旧派や根岸派との交流が多かったが、1904年(明治37)からは純然たる信綱主宰の竹柏会の機関誌となった。
1963年(昭和38)信綱没後は佐佐木由幾(1914―2011)・幸綱らを中心に運営され、1982年2月には1000号に達した。
大学卒業後、国語教員として働きながら発表した作品が話題となり、1987年に第一歌集『サラダ記念日』を出版、280万部と、社会現象になるほどの大ベストセラーとなります。
書籍のタイトルの由来となった短歌は、代表作として名高い「「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」です。
そして、この「「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ」という短歌も、『サラダ記念日』に収録されている歌です。
現代の短歌界で、冬の代表作の一つと言ったら、この歌が挙げられるのではないでしょうか。
意味自体も平易で分かりやすく、それゆえに親しみやすい短歌です。
作中の「寒いね」と返してくれている相手は、恋人なのか、友人なのか、それとも家族なのでしょうか。
今なら、TwitterなどSNSなども含め、こんな風に、「寒いね」と呟いたときに、「寒いね」と答えてくれる、小さな心の共有、共有できる人がいるということの、ほのかな温かさに共感するものがあります。
具体的な描写が省かれているので、相手との関係性や背景などの解釈は読み手に委ねられています。
個人的には、白い吐息がこぼれる冬の夜、まだ恋愛関係までは発展していない相手と、携帯電話越しに話しながらこぼれた「寒いね」という言葉、といった情景が浮かびます。
厳密に言えば、発表当時は携帯電話もインターネットも、もちろんSNSも普及していません。
だから、俵万智さんは、隣同士で歩いているときなど、もっと近い距離感を描いたのかもしれません。ただ、平易な表現で、かつ具体的な描写も外したことで、時代を問わず、様々な場面で共感できる短歌となっています。
俵さん自身、以前インタビューで、もともと恋の歌として書いたが、色々な読み方をしてもらえると語っています。
エレベーターで一緒になった人が「寒いね〜」と話しかけてきたので「ほんと急に!」と答えたんだけど、そこは「寒いね」にすべきだった。
— 俵万智 (@tawara_machi) October 22, 2021
先ほど触れた、有名なサラダ記念日の短歌も、この「「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ」という歌も、共通しているのは、「たった一人の肯定」ということが言えるかもしれません。
この味がいいね、と言ってくれた「あなた」。寒いね、と返してくれた「あなた」。「あなた」の存在に救われる、という歌。
もちろん、「寒いね」と言って、みんなで「寒いね」と話すあたたかさ、という読み方もできるかもしれませんが、なんとなく、こちらも一人で、相手も一人、寒いなかでもかろうじて見つけた優しいあたたかさ、といった印象を受けます。
作家の辻仁成さんも、俵さんとの対談のなかで、この短歌を好きな歌として挙げています。
サラダ記念日で好きな歌は「「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ」とかね。
また、この短歌を、英語訳した場合として、たとえばハーバード大学東洋学部の日本文学のクランストン教授の翻訳があります。
原文 : 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
英語訳 : “isn’t it cold?” I ask — that’s when having someone there who will reply “Yes, it’s realy getting cold” is what provides the warmth.
短歌のリズム感を英語で表現するのはとても難しいので、どうしても長めになってしまうのは仕方がないのでしょう。
ちなみに、この短歌の対として、個人的に思い浮かぶ作品が、自由律俳句を代表する俳人の一人、尾崎放哉の代表句「咳をしても一人」です。
寒いねと話しかけたら寒いねと答えてくれる人のあたたかさと、対照的な映像が想起される、咳をしても一人。
部屋に響く咳の音、誰の反応もない、届く相手がいないことの孤独さが伝わってくる句です。