和歌・短歌

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ〜意味と現代語訳〜

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ〜意味と現代語訳〜

〈原文〉

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

〈現代語訳〉

光ののどかな春の日に、桜の花はどうしてこんなにも落ち着いた心もなく散っていってしまうのだろう。

概要

平安時代前期の勅撰和歌集『古今和歌集』や、『百人一首』に収録されている短歌の一つで、作者は、平安時代前期を代表する歌人の紀友則きのとものりです。

紀友則は、正確な生没年は分かっていませんが、同じく歌人で『土佐日記』でも有名な紀貫之のいとこです。

共に三十六歌仙に入り、『古今和歌集』の選者にも選ばれるも、紀友則は、その完成を見ずにこの世を去ります。

紀友則作画 菱川師宣(小倉百人一首)

この「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」は、紀友則の短歌のなかでも、よく知られた代表作の一つです。

まず、冒頭の「ひさかたの」というのは、漢字で書くと「久方の」「久堅の」(『万葉集』)となり、天や月、雨や日といった天空に関わる言葉につく枕詞で、この作品の場合、「光」に掛かっています。

また、「ひさかたの」という言葉の意味や由来については、諸説あるものの、正確には分かっていません。

「ひさかた」の語義については、「日射す方」の約とか、「日幸ひます方」の意、また、天の丸くうつろな形をひさごにたとえた「瓠形ひさかた」の意とする説などがあるが未詳。

出典 : 「久方ひさかたの」|コトバンク

その他、「久方、久堅」という漢字から、天を永久に確かなものとする、という意味があるのではないか、といった説もあるようです。

次に、「光のどけき春の日に」とは、「光ののどかな春の日に」となり、優しい日の光が注がれる春の日の情景が浮かびます。

下の句の「しづ心なく」の「しづ心」とは、漢字で書くと「静心」で、「落ち着いた心」を意味します。

この「しづ心なく」とは、落ち着いた心ではない、落ち着くことのない、せわしなく、といった意味となります。

最後に、「花が散るらむ」の「らむ」は、推量の助動詞で、「どうして〜だろう」という意味です。

そのため、「花が散るらむ」で、「どうして〜花が散っていくのだろう」となり、落ち着くことなく桜の花が散っていく寂しさを歌っています。

この「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」を分かりやすく現代語訳すると、「こんなにも優しい日の光が注ぐ春の日に、桜の花は、どうして落ち着いた心もなく、せわしくなく散っていってしまうのだろう」となります。

現代でも、この歌の感覚はよく分かるのではないでしょうか。

春はのどかなのに、桜の花は、一緒にのどかな時間を過ごしてはくれません。

春の光のなかを、桜は次々に儚く散っていってしまう、その光景に、無常観のような寂しさや切なさが想起されます。

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

春の光と、散りゆく桜吹雪、優しさと寂しさ、今にも情景が浮かぶような、とても映像的な作品と言えるでしょう。

また、この和歌と、似たような感覚を歌ったものとしては、在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」も挙げられるでしょう。

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし〜意味と現代語訳〜世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし〜意味と現代語訳〜 〈原文〉 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからま...

世の中に、もしも全く桜がなかったら、春の心はもっと穏やかだっただろうに、と逆説的に桜の魅力を歌います。

いずれにせよ、日本人にとって古くから桜が象徴的な花であったことを伺わせる歌と言えるでしょう。