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和歌・短歌

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ〜意味と現代語訳〜

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ〜意味と現代語訳〜

〈原文〉

久方ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

〈現代語訳〉

光ののどかな春の日に、桜の花はどうしてこんなにも落ち着いた心もなく散っていってしまうのだろう。

概要と解説

平安時代前期の勅撰和歌集『古今和歌集』や『百人一首』に収録されている和歌の一つで、作者は、平安時代前期を代表する歌人の紀友則きのとものりです。

紀友則は、正確な生没年は分かっていませんが、905年頃に亡くなったと考えられ、同じく歌人で『土佐日記』の作者として有名な紀貫之のいとこに当たります。

共に三十六歌仙に入り、『古今和歌集』の選者にも選ばれるものの、紀友則は、その完成を見ずにこの世を去ります。

紀友則作画 菱川師宣(小倉百人一首)

この「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」は、紀友則の歌のなかでも、よく知られた代表作の一つで、『古今和歌集』のなかでもっとも有名な名歌の一つに数えられます。

まず、冒頭の「久方の」とは、読み方が「ひさかたの」で、天や月、雨や日といった天空に関わる言葉につく枕詞です。この和歌の場合、「(日の)光」に掛かっています。

また、「久方の」という言葉の意味や由来については、「日射す方の」であったり、「日幸ひます方」という意味であったりと諸説あるものの、正確には分かっていません。

「ひさかた」の語義については、「日射す方」の約とか、「日幸ひます方」の意、また、天の丸くうつろな形をひさごにたとえた「瓠形ひさかた」の意とする説などがあるが未詳。

出典 : 「久方ひさかたの」|コトバンク

その他、「久方(久堅)」という漢字から、「天を永久に確かなものとする」という意味があるのではないか、といった説もあるようです。

次に、「光のどけき春の日に」と続きますが、これは「光ののどかな春の日に」という意味で、優しい日の光が注がれる春の日の情景が浮かびます。

この「のどけき」とは、今でも「長閑のどかな」という言葉があるように、「天気が穏やかだ」「のんびりしている」という意味で、「のどけし」の連体形です。

下の句の「しづ心なく」の「しづ心」とは、漢字で書くと「静心」で、「落ち着いた心」を意味します。

この「しづ心なし」とは、「落ち着いた心ではない」「落ち着くことのない」「せわしなく、慌しい気持ちである」といった意味となります。

最後に、「花が散るらむ」の「らむ」は、推量の助動詞で、「どうして〜だろう」という意味です。

そのため、「花が散るらむ」で、「どうして〜花が散っていくのだろう」となり、落ち着くことなく桜の花が散っていく寂しさを歌っています。

この「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」という和歌を、分かりやすく現代語訳すると、「こんなにものどかな日の光が注ぐ春の日に、桜の花は、どうして落ち着いた心もなく、せわしくなく散っていってしまうのだろう」という意味になります。

現代を生きる我々にとっても、この歌の感覚はよく分かるのではないでしょうか。

春はのどかなのに、桜の花は、一緒にのどかな時間を過ごしてはくれません。

春の光のなかを、桜は次々に儚く散っていってゆく。その光景に、無常観のような寂しさや切なさが想起されます。

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

のどかな春の光と、散りゆく桜吹雪。優しさと寂しさ、なぜ桜は散り、春は行ってしまうのか。

今にも情景が浮かぶような、とても映像的な作品であり、また、声に出して読んでもリズムがよく、優しく浸透してくる和歌と言えるでしょう。

この「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」という和歌と似たような感覚を歌った作品としては、同じく平安時代前期、在原業平ありわらのなりひらの「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」も挙げられます。

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし   在原業平 〈原文〉 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし ...

現代語訳すれば、「世の中に、もしも全く桜がなかったら、春の心はもっと穏やかだっただろうに」という意味の和歌です。

これは、実際に桜がなかったらどれほど春の心はのどかだったか、と桜がなくなってしまうことを望んでいるのではなく、たとえば、恋する美しいあなたがいなかったら、どれほど心が穏やかだったでしょう(それほどあなたは美しい)と言うように、逆説的に桜の魅力を歌っています。

いずれも、日本人にとって古くから桜が象徴的な花であったことを伺わせる和歌と言えるでしょう。

以上、紀友則の和歌「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」の意味と現代語訳でした。