言葉の意味・由来

『竹取物語』と富士山の由来

『竹取物語』と富士山の由来

富士山と言えば、標高3776メートルと日本一高い山であり、古来から霊峰として神聖視されてきた活火山です。

関東に住んでいると、富士山が直接見える場合もあり、だいたいの場所はわかっているひとも多いでしょうが、もしかしたら遠くに住んでいる方にとっては、富士山がどこにあるのかよくわからない、というひともいるかもしれません。

実際、富士山が何県にあるか、という質問に、山梨県と静岡県と正解したひとは61%だったという調査もあります(参照 : 富士山は何県にある?正解61% 富士五湖観光連盟が調査)。

富士山のある県名もそうですが、山梨県と静岡県にまたがっていると言われても、その場所自体がどこにあるか曖昧、という場合もあるのではないでしょうか。

日本地図で言うと、東京の左隣の辺りに富士山は位置します。

画像 : Google Map

富士山が、今のような形になっていった経緯としては、過去に三世代に渡った火山活動があったと考えられています。

まず最初の小御岳火山は、今から十万年以上前に活動を停止したと考えられ、その後の古富士火山は、現在の富士山の土台となった火山で、約十万年前から一万年前にかけて活動したとされています。

そして、現在の富士山を形作った新富士火山の活動が始まったのが、約一万年前。それから百回ほど噴火が繰り返され、有史時代の最後の噴火が、1707年の宝永噴火です。

それでは、「富士山」という名前は、一体何に由来しているのでしょうか。

古代から色々な表現のあった富士山、その一つが「不二」で、これは文字通り、他に二つと無い、唯一無二の高峰ということに由来しています。

また、「不尽」と表す場合もあり、これは雪が尽きることがない、ということに由来します。

万葉集では、「不尽」以外に、「布士」や「布自」という表記もあり、万葉集の場合はある種の当て字で意味はわかりませんが、古来から「ふじ」と呼んでいたことは確かのようです。

他に、かぐや姫伝説で知られる『竹取物語』では、物語の最後、月に帰る姫から帝は不老不死の薬をもらったものの、姫がいない世界で永遠の生命など手にしても意味がないと、その薬を天(月の都)にもっとも近い山で燃やす、というシーンが描かれています。

この山が、不死の山、すなわち富士山であり、使いが薬を燃やしにいく際に兵士を大勢連れて登ったことに由来し、士が富む(武士がたくさんいる)ことから「富士山」と名付けられた、とあります。

この辺りは、諸説あり、色々と複雑ですが、いずれにせよ、平安時代前期に書かれたと考えられる『竹取物語』が、「富士山」という表記の由来が綴られる古典として知られています。

富士山の名前の由来は諸説あります。有力なのは、日本人なら誰もが知る童話「かぐや姫」からではないかと言われています。

かぐや姫のもととなっている「竹取物語」では、かぐや姫が帝に「不老不死の秘薬」を渡します。しかし、かぐや姫が月に帰ってしまって悲しみに暮れて生きる希望を失った帝は、日本で一番高い山の山頂でこの「不老不死の秘薬」を焼いたといいます。

この不老不死の薬を焼いたことから「不死山」という名称が生まれ、鎌倉時代には今の「富士山」になったという説が有力とされています。

しかしその一方で、帝が「不老不死の秘薬」を日本一高い山で焼くために遣わせた使者が「つわものらを大勢連れて山へ登った」ことから「士に富む山」、「富士山」になったという説もあります。

どちらにせよ、富士山で「不老不死の秘薬」を焼いたということに違いはなく、富士山に「溶けることのない雪(万年雪)」が残っていたり、きりが立ち込めているのは、「不老不死の秘薬」を焼いたためだと言われています。

出典 : 富士山の名前の由来|富士登山

ちなみに、この『竹取物語』のラスト、富士山の由来が語られるシーンの原文と現代語訳は以下の通りです。

〈原文〉

あふことも涙に浮かぶわが身には 死なぬ薬も何にかはせむ

かの奉る不死の薬に、また、つぼ具して御使ひに賜はす。勅使には、調石笠つきのいわかさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべき由仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべき由仰せ給ふ。

その由承りて、つわものどもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を『ふじの山』とは名付けける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝へたる。

〈現代語訳〉

(もう姫に会うことも二度とないゆえに、あふれ出る涙のなかに浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬などなんの意味があろうか)

かぐや姫が奉った不死の薬にお手紙や壺を添えて御使にお持たせになる。御使いには、つきのいはかさという人をお呼びになり、駿河の国にあるという山の頂上に持って行く旨をご命令なさる。そして、その山頂でなすべきことをお教えになる。

お手紙と不死の薬を並べて、火をつけて燃やすようにと仰せになった。

その旨をうけたまわって、つきのいはかさは、多くの兵士たちをたくさん引き連れて山に登ったことから、この山を「士に富む山」(「不死の山」)、つまり「富士山」と名づけたのである。

その不死の薬と手紙を焼いた煙は、いまだに雲のなかへ立ちのぼっていると、昔から言い伝えられている。

出典 : 『竹取物語』

ただ、定説としてはっきりしないのですが、必ずしも『竹取物語』が「富士山」の表記の最初とも限らないようです。

同じく平安時代初期(『竹取物語』も正確な成立年は不明で、9世紀後半から10世紀前半とも言われています)に編纂された『続日本紀しょくにほんぎ』に「富士」という表記があったという話もあります。

はじめて「ふじ」の名前が記録に出てくるのは712年の「常陸国風土記ひたちのくにふどき」で、「福慈」と書かれている。1年中雪に閉ざされた、「福慈神」という高貴な冷たい女神が住む山だとされている。

759年に成立した日本最古の和歌集「万葉集」では「不尽山」「不士能高嶺」「布二能嶺」で登場。「富士」と書かれるのは797年の「続日本紀」あたりが最初となる。このほか「不死(不老長寿)」「不二」などとも書かれている。

精神的な風土に由来を求める説も多く、特に中国の徐福伝説に象徴される不老不死の神仙思想が深く関わっているとの見方が強い。

甲斐の国は不老不死の神仙の地で、「死者のよみがえる地」と考えられていた。その国に境を接する霊峰が、「不死」「よみがえり」の山として位置付けられていったというのである。

出典 : 富士山はなぜ富士山というの? |富士ビジターセンター

富士山は、『日本書紀』や『古事記』の時代には語られることはなく、『続日本紀』で火山活動に関する記録として記されています。

日本書紀には、富士の話は出てきませんが、続日本紀によると、781年には「富士山灰ふり木葉枯れる」とありますから、この年には大きな火山活動があったのだろうと推測できます。

出典 : 日本書紀や古事記にも出てこない富士山が日本一の山になった理由

富士山の噴火史を見ると、この781年の噴火の記録が、もっとも古いものであり、平安時代には常時山頂から噴煙が上がっていたとされ、このことが、『竹取物語』の最後の噴煙の描写とも繋がっているのかもしれません。