NUUAMM『めのう』とは〜意味や由来、最後の詩の朗読〜
NUUAMMとは
NUUAMMとは、ソロミュージシャンの青葉市子さんと、下山(GEZAN)のヴォーカル&ギターのマヒトゥ・ザ・ピーポーの二人による音楽ユニットです。
二人の出会いは、2012年頃、青葉さんの知り合いだった「踊ってばかりの国」の下津さんにマヒトさんを紹介されたことがきっかけで、それから、ライブの共演などを経ながら親交を深め、NUUAMMの結成に至ります。
NUUAMMというユニット名は、その響きから「縫う、編む」という意味で、コンセプトの「夜を縫う、朝を編む」に由来します。
NUUAMMは2014年の1stアルバム『NUUAMM』でデビューし、2枚目のアルバム『w/ave』が2017年にリリースされます。
この2枚目のアルバム『w/ave』の最後に、『めのう』という歌が収録され、この曲は、MVがYouTubeでもアップされている、『w/ave』の代表的な一曲です。
>>NUUAMM (青葉市子×マヒトゥ・ザ・ピーポー)/ めのう 【MV】
柔らかく優しい曲調のバラードで、幻想的でどこか切なさもある歌詞が魅力です。
アルバム『w/ave』収録の『めのう』
まず、アルバムのタイトル『w/ave』は、wave、すなわち「波」の途中に斜線が入っていますが、これは、世の中の数々の「波」をいったん断ち切り、立ち止まる、という意味合いが込められています。
マヒト : 窓の外の世界には、いろんなものが流れているじゃないですか。車も、人も、情報も。携帯を見たら、タイムラインだって流れている。そういう「波」に、斜線を入れているんです。
―「wave(波)」を断ち切るために、「/」が入っているんですね。
マヒト:そう。俺らはその波の流れに乗るんじゃなくて、その流れを前に1回立ち止まりたくて。俺自身、その波に溺れてしまいそうになるときがあるから。
外の世界には、多くのものが流れていて、その流れとは違う時間が必要である、ということが、このタイトルや、あるいはNUUAMMという音楽ユニットの存在に象徴されているようです。
また、斜線が入って切り取られた後半の「ave」は、ラテン語で「ようこそ」と「さよなら」の意味があります。
青葉:そう、「ave」って、「ave maria」(ラテン語で直訳すると「こんにちは、マリア」、または「おめでとう、マリア」を意味する言葉)の「ave」なんです。
―人が日々生きているなかで感じる、せわしない時間の流れを断ち切ったとき、そこから生まれるのが「ようこそ」と「さよなら」という、人の営みの言葉であるということは、とてもこのアルバムを象徴しているなって思いました。
せわしない時間の流れ、数多くの「波」を断ち切ったとき、「ave」という「ようこそ」と「さよなら」が現れる。『w/ave』というタイトルには、そういった意味合いが象徴的に込められています。
アルバムの最後に収録されている『めのう』という曲ですが、この「めのう」とは、漢字で「瑪瑙」と書き、石英・玉髄・蛋白石の混合物で、帯状の美しい色模様を持っている石のことを指します。
様々な模様のものがあり、工芸の材料やアクセサリーなどにも使われます。
恐らく、この天然石の「めのう」に由来するのでしょう。歌詞のなかに、「ねえ 瞳は冬のめのう 輝いて」という一節も登場します。
この歌には、もう外の世界はどうなってもいい、という微かな諦念と、同時に、なにもかもが終わったらね、というこの世界が終わった先の光が感じられるような、温かい祈りの想いも込められているのではないでしょうか。
『めのう』の最後の詩
MVバージョンには入っていませんが、『めのう』には、最後に詩の朗読のような台詞が入っています。
この朗読の部分は、アルバムの曲を全て録り終わったあとに、アルバムを締め、次に繋げていこうという想いから書かれたようです。
その詩が、とてもよく、そのまま一編の詩としても美しいので、以下に引用したいと思います。
改行されていく季節
繰り返し
私は私を演じている首都高に誤って紛れ込んだ流れ星は
ヘッドライトの隙間をぬって夜を駆け抜けたひかりのふるさとを越え
冥王星のパーキングエリアを通過した先の行き止まりで
右往左往する星を摘んで口に入れるそれはどこか懐かしい
駄菓子屋のドロップの味私たちは
人をやるのは初めてだから
上手くはできないな言葉はつくづく
それを助けたりはしないし
それでもやはり言葉に頼って生きているでも
どうしても
この涙の色を伝える言葉が必要なとき
歌が聴こえる方角を探してみてほしい僕らがこの銀河で迷ったら
また歌が聴こえる方角で
光の皮膚を破いたところで
待ち合わせをしよう私たちは
おまじないを知っている縫う 編む
出典 : NUUAMM『めのう』
朗読の声は、青葉市子さんとマヒトさんの二人の声が重なったように読まれ、境界線が曖昧になっていくような、不思議なイメージが浮かび上がってきます。
詩の中身も、曲の最後でありアルバムの最後としてふさわしく、作中に二度出てくる「歌が聴こえる方角」というのは、今の数々の波に追われる世界から離れた、別の時間の流れる世界のことで、悲しみを言葉にしたいと思ったとき、生きることに迷ったとき、その世界で待ち合わせをしよう、ということでしょう。
その後、「おまじない」として描かれ、ユニット名の由来となっている「縫う、編む」という言葉によって、希望や温もりが仄めかされながら、静かに終わります。