デイ・ドリーム・ビリーバーの意味
デイ・ドリーム・ビリーバーというと、忌野清志郎さん率いるロックバンドのザ・タイマーズの曲という印象があります。
セブンイレブンのCMでもよく耳にし、「ずっと夢を見て、今も見てる」という歌詞を見ると、あのメロディも自ずと蘇ってくるのではないでしょうか。
ずっと夢を見て 今も見てる
ぼくは デイドリームビリーバー
そんで 彼女はクイーン忌野清志郎『デイ・ドリーム・ビリーバー』
ただ、この曲は、もともと、1967年に発表されたアメリカのロック・バンド、モンキーズの曲で、忌野清志郎さんの歌うデイ・ドリーム・ビリーバーはカバーになります。
タイトルのデイドリームビリーバー(Daydream Believer)とは、夢想家や空想にふける人、といった意味です。
daydreamが、「白昼夢」や「夢想する」という意味の言葉で、believerは、「信仰者」や「信じる人」となるので、デイドリームビリーバーで、「夢想家」「空想にふける人」といったニュアンスになるというわけです。
カバーと言っても、原曲であるモンキーズのDaydream Believerと、忌野清志郎さんのカバー版では、歌詞に相当違いが見られ、ほとんど別の歌と言ってもいいほどで、カバー版の訳詞は、ZERRY名義で忌野清志郎さんが行っています。
カバー版のデイ・ドリーム・ビリーバーは、忌野清志郎さんの母親のことについて書いた詩だと言われています。清志郎さんには、幼い頃に亡くなっている実母と、その後育ててくれた育ての母がいましたが、ただ、この訳詞が、実母のことを歌ったものなのか、養母のことを歌ったものなのか、といったことは、意見が分かれるようです。
Q、忌野清志郎さんのデイ・ドリーム・ビリーバーにおける『彼女』は『実母』を指しているという解釈が定説のようですが、忌野清志郎さん自身がそのように解説した事はありますか?(私には『彼女』が『養母』を指しているように思えてならないのですが)
A、全て徹頭徹尾が「実母」ではありませんが、「彼女 写真のなかで 優しい目で僕に微笑む」の箇所は実母の事です。 この歌詞を書いた当時に(戸籍上の)父親が亡くなり、親戚より、実母の写真や日記、ソノシート(レコードの廉価版、楽曲は「カラスの赤ちゃん」、後にRCサクセションの「コブラの悩み」に収録)が清志郎の手に渡っています。 その実母の笑顔がとても魅力的だったようで、この頃の歌詞に反映されています。 「Memphis」収録の「彼女の笑顔」もそうです。 本人が断言した資料はありませんが、著書「ねずみに捧ぐ詩」にこの当時の記述が沢山残っています。 実母なのか養母なのか、はたまた彼女なのか、聞く人に情景を浮かべさせる素晴らしい歌詞ですよね。
このデイ・ドリーム・ビリーバーからは、原曲のようなほのぼのとした雰囲気の空想的な世界ではなく、夢見心地だったあの日々のような、もう今は彼女はいないけれど、今も彼女が心のなかにいて、あのときの夢の続きを見ているよ、といった切なさが伝わってきます。
また、忌野清志郎さんの母親への思いという解釈を抜きにしたとしても、普遍的な悲しみや切なさが漂ってくる作品ゆえに広く染み渡るのでしょう。
たとえば、恋愛的な解釈もでき、誰かと出会い、恋に落ちるということは、それまでの世界と切り離された夢のような世界で、(やがては現実になっていくとしても)どこか夢をずっと見ているような感覚に近いのではないでしょうか。
そして、その恋人が、いなくなってしまったとしても、思い出があるかぎり、今も夢の続きを生きている、といった捉え方もできるかもしれません。