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言葉の意味・由来

「鳴かぬなら……」一覧

「鳴かぬなら……」一覧

鳴かぬなら…

よく知られている句に、「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」があります。小学校などで教わり、おそらく多くの人が一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

この「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」という句は、「ほととぎすが鳴かないようなら、鳴くまで待とうじゃないか」という意味で、わかりやすく言えば、「機が熟すまで、じっくり待つ」ということです。

これは、江戸幕府を開いた徳川家康の忍耐強い性格を表した句と言われています。

後でも触れますが、「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」という言い方はあくまで現代語訳で、原文かは定かではありませんが元の文章と考えられる形として、「なかぬならなく時聞こう時鳥ほととぎす」や、「なかぬなら鳴まで待よ郭公ほととぎす」があります。

徳川家康を表す、「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」という句の他にも、織田信長や豊臣秀吉の性格を表現した、同じく「鳴かぬなら……」という冒頭で始まる句があり、それぞれの性格が対比されるように描かれています。

以下、三人の武将の「鳴かぬなら……ほととぎす」シリーズの一覧と意味になります。

織田信長 : 鳴かぬなら殺してしまえほととぎす

戦国時代から安土桃山時代にかけての戦国武将である織田信長。その信長の性格をほととぎすで表した一句が、「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」です。

子どもの頃に、初めてこの句を読んで、びっくりした人もいるのではないでしょうか。あまりにも直接的な、「殺してしまえ」という言葉。

この「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」とは、文字通り、「鳴かないほととぎすは殺してしまえ」という意味で、信長の短気な性格や残忍性を表しています。

Q、有名な「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の歌にある「強引な性格」は本当ですか?

本当です。知恵を絞って「鳴かせてみせよう」の豊臣秀吉、タイミングを待ち続けた「鳴くまで待とう」の徳川家康に対して、信長のやり方は性急で強引さが目立ちます。

たとえば信長は、かなりの「骨董コレクター」で、その収集には余念がありませんでした。

特に、「名物」と呼ばれる最も価値の高いものについては、その所有者の意志がどうであれ強引に供出させたりカネで買い取ったりと、多くの名物を自らのコレクションにしています。

それらに加えて、後述するように、自らに従わない者に対しては「大量虐殺」も繰り返しています。

出典 : 「虐殺者」織田信長は、ここまで残酷だった|東洋経済

まさにこの句で描かれているように、信長は、大変せっかちで強引、かつ大量虐殺も厭わない武将だったようです。

こちらも、現在分かっているもっとも古い形では、「鳴かずんば殺してしまえ時鳥ほととぎす」ですが、それからまもなく、今知られている句と同じ、「なかぬなら殺してしまへ時鳥」という記載が出てきます。

豊臣秀吉 : 鳴かぬなら鳴かせてみせようほととぎす

豊臣秀吉は、戦国時代から安土桃山時代にかけての戦国大名で、信長の跡を継ぎ、天下を統一します。

この「鳴かぬなら鳴かせてみせようほととぎす」という句は、「鳴かないほととぎすも、工夫して鳴かせることができる」と、不可能を可能にする秀吉の才覚を表しています。

信長のように用無しだと殺してしまうのではなく、鳴かない鳥も、創意工夫によって鳴かせてみせようという姿勢は、現代でも通じる、とても大事な考え方かもしれません。

この句は、昔の形としては、「なかずともなかせて聞こう時鳥」や、「鳴かずともなかして見せふ杜鵑ほととぎす」があります。

徳川家康 : 鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす

徳川家康は、戦国時代から江戸時代初期の戦国大名で、江戸幕府の初代征夷大将軍です。

この「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」は、「ほととぎすが鳴かないのなら鳴くまで待つ、機が熟すまでじっくり待つ」という家康の忍耐強い性格を表しています。

鳴かぬなら殺してしまえというのも、鳴くように工夫しようというのも、判断を急いでいるという点では共通している面があるかもしれません。

しかし、家康を表す句の場合、「待つ」という点に、他の二つとの違いや特徴が見られます。

冒頭で触れたように、元ネタとされる文献に記載される原文(正確には起源かどうかは分かりませんが)では、「なかぬならなく時聞こう時鳥ほととぎす」や「なかぬなら鳴まで待よ郭公ほととぎす」となっているようです。

作者は誰か

この一連の「鳴かぬなら」シリーズの句の作者は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康本人ではないと考えられています。

それでは、この句は、そもそも一体誰が最初に言ったものなのでしょうか。

正確な起源や作者は不明ですが、現在分かっているもっとも古い出典として、江戸時代の文化5年(1808年)頃に、勘定奉行や町奉行を務めた根岸鎮衛ねぎしやすもりが書いた、『耳嚢みみぶくろ』という雑話集に記載があります。

連歌 その心 自然に 顕わるる事
(歌は、詠んだ人の心情がそのまま現れる)

古物語にあるや、また人の作り事や、それは知らざれど、信長、秀吉、恐れながら神君ご参会の時、卯月のころ、いまだ郭公を聞かずとの物語いでけるに、
信長、
鳴かずんば殺してしまえ時鳥ほととぎす
とありしに秀吉、
なかずともなかせて聞こう時鳥
とありしに、
なかぬならなく時聞こう時鳥
とあそばされしは神君の由。自然とその温順なる、又残忍、広量なる所、その自然をあらわしたるが、紹巴もその席にありて、
なかぬなら鳴かぬのもよし郭公
と吟じけるとや。

出典 : 根岸鎮衛『耳嚢』

この文章では、「古い物語なのか作り話なのかは分からないが、信長、秀吉、そして恐れ多くも家康公が参会した4月のある日のこと。4月だというのに、まだほととぎすの鳴き声が聞こえない、という話になり、それぞれが句を詠んだ」ということが書いてあります。

そのとき、信長は、「鳴かずんば殺してしまえ時鳥」。秀吉は、「なかずともなかせて聞こう時鳥」。家康は「なかぬならなく時聞こう時鳥」と詠みます。

また、この席には、連歌師の里村紹巴じょうはも同席していたという記載があり、「なかぬなら鳴かぬのもよし郭公ほととぎす」、すなわち、「鳴かないなら鳴かないのもよい」という意味の句を詠んだ、とあります。

実際に、信長、秀吉、家康らが集まり、ほととぎすについて一人一人詠んだという出来事があったとはなかなか考え難いことから、実話ではなく、伝説上の物語か、誰かの作り話なのでしょうが、これより古い起源というのは分かっていません。

もう一つ、「ほととぎす」の有名な出典としては、この『耳嚢』より少し経ってからの文政7年(1824年)に綴られた、平戸藩主の松浦静山まつうらせいざんの随筆集『甲子夜話かっしやわ』が挙げられます。

夜話のとき或人の云けるは、人の仮託に出る者ならんが、其人の情実にかなへりとなん。
郭公ほととぎすを贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、

なかぬなら殺してしまへ時鳥  織田右府
鳴かずともなかして見せふ杜鵑 豊太閤
なかぬなら鳴まで待よ郭公   大権現様

このあとに、二首を添ふ。これ憚る所あるが上へ、もとより仮託のことなれば、作家を記せず。

なかぬなら鳥屋へやれよ ほとゝぎす
なかぬなら貰て置けよ ほとゝぎす

出典 : 松浦静山『甲子夜話』

この『甲子夜話』では、語り手である「或人」が誰かは記していないものの、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を表す句が紹介されています。

なかぬなら殺してしまへ時鳥(織田信長)
鳴かずともなかして見せふ杜鵑(豊臣秀吉)
なかぬなら鳴まで待よ郭公(徳川家康)

この「郭公、時鳥、杜鵑」は、いずれも「ほととぎす」と読みます。それぞれ漢字を変えている理由は定かではありませんが、この作者の遊び心ではないか、といった指摘もあります。

また、後半には、「どうせ偽作であろうし、はばかる所があるので、この句の作者の名前は記さないものの」という旨を付け加えた上で、さらに「ほととぎす」に関する二首を紹介しています。

なかぬなら鳥屋へやれよほととぎす
なかぬなら貰て置けよほととぎす

最初の「なかぬなら鳥屋へやれよほととぎす」という句は、「鳴かないようなら鳥屋に売ってしまえ」という意味で、この句の作者とされる人物は、11代将軍の徳川家斉と考えられています。

一方、後者の「貰て置けよ」の作者とされる人物は、依然不明です。

鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす

ちなみに、根岸鎮衛の『耳嚢』のなかで、里村紹巴が詠んだとされる「なかぬなら鳴かぬのもよし郭公」という句がありましたが、似たような意味の句として、放浪の俳人で有名な種田山頭火が、「鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす」と詠んでいます。

鳴かないほととぎすでもよい、と。

もし、自分自身がほととぎすであったと想像したら、「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」は当然のこと、「鳴くまで待とう」もプレッシャーですし、「鳴かせてみせよう」というのも押し付けがましく思ってしまうかもしれません。

その点、鳴かぬなら、鳴かなくてよい、というのは割と気軽でありがたい反応なのではないでしょうか。

また、日本の実業家である松下幸之助の名言としてよく引用される言葉にも、「鳴かぬならそれもまたよしほととぎす」があります。

この句も、鳴かないほととぎすがいたとしても、それが自然なこととして、「それもまたよし」と受け入れていく姿勢が歌われていると言えるでしょう。

松下幸之助自身、「鳴かぬならそれもまたよしほととぎす」という句の意味として、次のように語っています。

何ごとでも、素直ではなく、何かにこだわっていれば、うまくいかないと思うのです。

よく、信長は「鳴かずんば殺してしまえホトトギス」、秀吉は「鳴かずんば鳴かしてみせようホトトギス」、家康は「鳴かずんば鳴くまで待とうホトトギス」だといわれますね。これらは、3人が詠んだものか、あるいは後世の人が、3人の特徴を端的に表現するために作ったものなのかは知りませんが、それぞれ、鳴くということを期待しているから出てくる言葉です。つまり、鳴くということに皆こだわっていると思うのですよ。

僕はね、何ごとでも、何かにこだわっていたら、うまくいかないと思っています。だから、僕ならこういう態度でありたいですね。「鳴かずんばそれもまたよしホトトギス」。つまり、自然の姿でいこうというわけですよ。なかなか難しいことですがね。

出典 : 松下幸之助『人生談義』

鳴かぬなら、殺してしまう、というのも、鳴くまで待つ、というのも、鳴かせてみせよう、というのも、根底に、ほととぎすは鳴くものだ、という期待がある。

ほととぎすが鳴く、ということにこだわっている。

こういうこだわりがあると、うまくいかない、鳴かないならそれもまたよいではないか、という自然の姿でいきたい、ということを松下幸之助は語っています。

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