雑学

『平家物語』の作者

『平家物語』の作者

日本を代表する古典である『平家物語』は、鎌倉時代に成立した軍記物語で、平家の凋落と、新しい武士階級の台頭や人間模様を描いた文学作品です。

この作品は、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という冒頭が有名で、文字通り、仏教的な無常観が根底にあります。

正確な制作年数は分かっていませんが、鎌倉時代の初期の頃の作品だと考えられています。

また、平家物語は作者も不詳で、この作者が一体誰か、というのも様々な説があります。

もっとも有力な説として知られているのが、兼好法師の書いた随筆『徒然草』に由来する信濃前司行長しなののぜんじゆきなが作者説です。

兼好法師の『徒然草』には、後鳥羽院の御代(12世紀末~13世紀初)に、信濃前司行長という人物が『平家物語』を書いた、という記載があります。

後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論義の番にめされて、七徳の舞をふたつ忘れたりければ、五徳の冠者と異名をつきにけるを、心うき事にして、学問をすてゝ遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までもめしをきて、不便にせさせ給ければ、此信濃入道を扶持し給けり。

此行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教てかたらせけり。さて、山門のことをことにゆゝしくかけり。九郎判官の事はくはしく知て書のせたり。

蒲冠者の事はよくしらざりけるにや、おほくのことゞもをしるしもらせり。武士の事、弓馬の業は、生仏、東国のものにて、武士に問聞てかゝせけり。彼生仏が生れつきの声を、今の琵琶法師は学びたる也。

出典 : 兼好法師『徒然草』

信濃前司行長は、学識の高い貴族であり、信濃の国司も務めますが、後鳥羽院の時代に出家。

そして、天台座主慈円の庇護のもとに『平家物語』を書き、盲僧生仏しょうぶつに語らせたとのこと。

日本大百科全書にも、次のように記載があります。

作者については、多くの書物にさまざまな伝えがあげられているが、兼好法師の『徒然草』(226段)によると、13世紀の初頭の後鳥羽院のころに、延暦寺の座主慈鎮じちん和尚(慈円)のもとに扶持ふちされていた学才ある遁世者とんせいしゃの信濃前司行長と、東国出身で芸能に堪能な盲人生仏なる者が協力しあってつくったとしている。

出典 :『日本大百科全書』

ただし、『徒然草』の成立は鎌倉時代の末期で、『平家物語』が制作されたと考えられる時代から100年近くも経過しているので、そのなかで書かれた作者というのが、一体どれほど正確か、ということは疑問視する声もあります。