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浅野いにお『ソラニン』の名言

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浅野いにお『ソラニン』の名言

映画『ソラニン』 予告編

浅野いにおさんの漫画『ソラニン』は、2005年頃に出版され、若者のあいだで人気となり、その後、映画化もされています。

音楽の道を目指しながら、現実とのはざまで葛藤する種田と、OA危機メーカーで働くOL2年目の芽衣子。そして、突然訪れる種田の死。

結構前の漫画にはなりますが、一向に古びず、久しぶりに『ソラニン』を読んでみても、改めて心に響くような数多くの名言があります。

画像 : 浅野いにお『ソラニン』

この記事では、種田や芽衣子の言葉を中心に、漫画『ソラニン』のなかで個人的に好きな名言や名シーンなどを紹介したいと思います。

 

東京には魔物が潜んでおります。(芽衣子)

これは、漫画の冒頭、芽衣子の心の声です。

「あたしは東京のどこにでもいるようなOLで、でもまだ若いから社会とか大人とかいろいろ不平不満が全然あって。どうしていいかわからなくて体に毒がたまってく。東京には魔物が潜んでおります。」

東京、あるいは都会生活全般に言えるかもしれませんが、どこからともなく訪れ、内側に巣食って膨れ上がっていく“魔物”。

自分のなかで浄化できないまま、じわりじわりと溜まっていく毒が、はけ口のないまま心を蝕んでいく。

自分の外側にいる魔物というよりも、生活しているうちに、いつの間にか内側で肥大化しているものも含めて魔物と表現したのかもしれません。

 

辞めちゃいなよ、本当に芽衣子がそうしたいなら。…きっとどーにかなるさ。(種田)

これは、芽衣子が仕事を辞めるかどうか悩んでいるときに放った種田の台詞です。

ちょっと無責任に思えるかもしれませんが、無責任な優しさが、ときどきふっと心を軽くし、背中を後押ししてくれることもあるでしょう。

種田のその勢いが、少し羨ましくもあります。

 

……でも、俺、ちょっと寂しかったかも。(種田)

突然、芽衣子の家を訪れることになった芽衣子のお母さんに、種田と同棲していることを言えず、種田は約束していた動物園に加藤と一緒に行くことになります。

帰ってきたあと、芽衣子を抱きしめながら言う種田の本音。

最後の「かも」という部分が、本音をいっそう引き立たせます。

わかってるさ、正しい答えなんて無いことは。ただ確実なのは川のように着々と時間は流れて、どのみち行きつく先は海だけれど。……逆らってみるかぁ。流れに。(種田)

これは、悩んで、悩んで、ひとり土手に立って川の流れを眺めながら、音楽の道に進んでみよう、と決意する瞬間の種田の言葉です。

人生に限らず、あらゆる場面において「流れ」に逆らうのは難しいことであり、決意や勇気のいること。

もしかしたら無駄な抵抗だろうか、と思い詰めながらも、思いきってジャンプしてみることで、新しい流れができることもあるかもしれません。

 

俺は、幸せだ。 ホントに? 本当さ。 ホントに?(種田)

種田が死亡事故に遭う直前、バイクに乗りながら繰り返し自問自答するシーンです。

音楽で世界を変えたいのではなく、バンドがあり、みんながいること、芽衣子がいること、それだけで十分に幸せだ、と一度自分に言い聞かせながら、本当にそうなのか、とよぎった疑問符。

本当に、「幸せ」なのだろうか。幸せとはなんだろうか。そして、種田は泣き叫びながら、赤信号に突っ込んでいきます。

 

たとえそれが険しい道で、世界の果ての果てまで続いていても……僕は僕の道をゆくんだ。(種田)

種田の回想シーンで出てくる言葉。学生最後のライブで、曲の途中に歌詞を忘れた種田が、自分の想いを吐き出すように拳を突き上げて放った、青春を力強さを表現するのにぴったりの名言です。

種田は、不安を打ち消すように吐き出した“強がり”を、ステージの真ん中で叫びます。

 

いろいろあったような。なかったような。そんなもんか、人生なんて。(種田)

死の直前、走馬灯のようによぎった回想のあとの事故現場。

最後のライブ後に、河川敷で種田と芽衣子が一緒に話し、将来への不安がふっとゆるんだような芽衣子の暖かさに触れ、ラブソングでもつくろう、と思った種田。

その日つくったラブソングは、結局恥ずかしくて聴かせることはできなかった。でも、帰ったら聴かせてみよう。「帰ろう。早く、家に帰ろう。」空を見ながら思う、種田の最期のシーンです。

 

あたし 落ちついているなんて初めて言われたよ。(芽衣子)

種田が亡くなり、商店街の花屋でアルバイトを始めた芽衣子が、先に入っていた大学生の大橋くんに、「落ちついていて大人な感じ」と言われた際に、驚いて大橋くんに言った台詞です。

自分ではまだ子供っぽいと思っていたり、ただ寂しくてぼうっとしているだけなのに、年下の子には、それが「大人っぽく」見えるとき、嬉しいような、ちょっぴり悲しいような、不思議な気持ちになる。

もしかしたら芽衣子も、そんな気分だったのかもしれません。

 

曲が……終わった。(芽衣子)

種田のあとを継いでライブを行い、種田のつくった『ソラニン』を歌い切る芽衣子の言葉。歌っているときだけが夢で、この曲が終わったら、「またいつもの生活が、はじまるんだ」。

夢のような一瞬が、曲とともに終わり、種田と過ごした思い出の詰まった部屋を引っ越し、また、芽衣子の新しい生活が始まります。

 

今日もどこかで戦争をしてるとか、たくさんの人が死んでるとか、そんなの信じられないくらいそれは平和な景色で、この景色がいつまでも続けばいいのにな。なんて考えてしまった。(芽衣子)

そして、『ソラニン』のラスト。よく種田と話した河川敷をみんなで歩きながら、きょうの東京はよい天気で、いつものように小田急線が走り、多摩川では恋人たちがボートをこいでいる。

こんな景色が、いつまでも続けばいいのにな、と芽衣子は心のなかで呟きます。

 

私は言葉でしか伝えられないから、ときどきおかしな嘘をつく。こんな時にもし楽器が弾けたなら。(本田繁子)

ソラニンの番外編『はるよこい』で、芽衣子と種田が暮らしていたアパートの一室に新しく引っ越してくる若い女性の言葉が、シンプルながら、素敵な名言だなと思います。

言葉でうまく伝えられず、それでも何か言わなくてはならず、おかしな嘘を、自分にも、誰かにも、大切な人にもついてしまうとき、「もし楽器が弾けたなら」なんて思うこともあるでしょう。

心は揺れやすく、壊れやすく、言葉は、分かり合うにはいつも足りないもの。想いが伝わる、というのは、本当に難しいこと。

 

今でも時折、あのメロディーが蘇ってくる事がある。(芽衣子)

漫画『ソラニン』のラストの「その後」が描かれた新装版では、結婚し、妊娠している芽衣子。種田の死から10年のときを経て、あの頃必死に魔物と闘おうとしていた芽衣子にも変化が見られます。

“東京には魔物が潜んでおります。”……10年前の私は、そんな風に思っていた。なんの武器も持っていないのに、私たちはただ闇雲に見えない魔物と戦おうとしていた。……あの頃の私たちは、一体何と戦っていたんだろう。そしてやっぱり、私たちは負けてしまったんだろうか。でも今、私には守るものができた。

出典 :浅野いにお『ソラニン(新装版)』

そして、夢のなかのような日々の遠くから、ふいに「あのメロディー」が聴こえてくるのでした。

決して一時の流行ではないような、若い命を生き切るという普遍的なテーマゆえに、この漫画はいつまでも色褪せないなと思います。