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『この世界の片隅に』の名シーン、座敷童と最後の子供

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『この世界の片隅に』の名シーン、座敷童と最後の子供

片渕須直『この世界の片隅に』 予告

片渕須直監督の『この世界の片隅に』は、主人公のすずの声を演じたのんさんも、風景の絵も、色も、音も、ちょっとした笑いも、夢と現実が交錯する詩的な演出も美しいアニメ映画です。

作中、個人的に名シーンだなと思ったシーンは、座敷童とすずの描かれ方です。

最初、子供の頃のすずが、夏におばあちゃんの家で座敷童の女の子と出会います。すずはその存在に一切驚かず、スイカをあげ、「もっともらってきましょうか」と言うと、座敷わらしはこくりと頷きます。

しかし、すずが戻ってくると、もうそこには座敷わらしの姿はありません。

おばあちゃんが、すずの耳もとでそっと、「放っておきゃ、あとで食べにきんさってよ」と囁きます。

座敷童と再会するのは、すずが大人になり、結婚先の町に移ってからのことでした。

すずが闇市に買い物に行った際、考え事をしながら歩いていると、知らない通りに迷い込んでしまいます。通りには美しい女性が多く、よい匂いを漂わせ、竜宮城のようでした。

誰に尋ねても、道が分からず、うな垂れたすずが、道の隅にしゃがんで地面にスイカの絵を描いていると、一人の女性と出会います。

その女性は、すずの言葉遣いを頼りに故郷を当て、私もそっちの方だ、と言います。

懐かしみながら、すずが、「おばあちゃんの家でスイカ食べたなあ」と言うと、女性は「うちは貧乏じゃったから、人の食べた皮ばかりかじっとったよ。でもいっぺん親切してもろうて、赤いとこ食べたねえ、遠い昔じゃね」と言います(エンドロールのあとのアニメーションで、座敷童の正体は明かされます)。

女性は、絵が上手なすずに食べ物を描いて欲しいとお願いするも、途中で呼ばれ建物に戻っていこうとします。

その女性の背中に向かって、「今度描いてきますよ」とすずが呼びかけると、「ええよ」と振り返り、「こんなとこにはさいさい来るもんじゃない」と寂しげな眼差しを浮かべて女性は建物のなかに帰っていきます。

この女性は、リンという名前のようです。この映画では確か名前は出てこなかったような気がします。エンドロールに白木リンとありました。だから、この女性は「リン」という一人の女性というよりも、「座敷童」という、現実とも幻想とも分からない詩的な象徴の印象があります。

座敷童は、大人になって遊女になります。「こんなとこ」とは、遊郭のことです。原作だとはっきり描かれているようですが、映画では、彼女の台詞や街並みの雰囲気から想像します。

夢なのか現実なのか、子供の頃に出会った二人が、そういった形で再会するのが切なく、こういう運命の描写が、数多くあったように思います。

それからもう一つ、名シーンとして挙げたいのは、最後の子供と出会うシーンです。

子供は、母親と一緒にいるときに広島の原爆に遭います。子供だけが生き残り、母親は右腕を失って、しばらく子供を連れて歩くも、尽き果てます。

すずもまた、爆弾によって、一緒にいた姪の晴美を亡くし、自身の右腕を失くします。

最後の子供は、すずの場合とはある意味では逆で、子供だけが生き残ります。

その生き残った子供が、すずと周作が座って話している場所に偶然現れ、家に連れて帰り、一緒に生きていくことをほのめかしながら映画は終わります。

失った者同士が交錯するそのシーンが、あたたかな救いのようにも思えました。

この世界の片隅に。演出の細かさが際立つ、素敵な作品で、ストーリーや台詞もよく、何気ない瞬間瞬間も美しいアニメでした。

ちなみに、片渕監督は、過去に、ジブリの高畑勲監督の演出助手を務めたり、宮崎駿監督のもとで演出を学んだこともあったようです。

片渕須直監督の、高畑勲監督との出会いは『セロ弾きのゴーシュ』の時。自主制作という形で映画の上映を手伝ったといいます。その後、『リトル・ニモ』で高畑監督の演出助手をつとめたといいます。「高畑監督の基準はすごく高いところにあり、大変厳しい方。絵本作家や他のアニメーション作品を引き合いに出しながら、自身の考えをまとめていく。愛情のある厳しさですね。戦後、商業的にアニメーションを大きく広げていこう、という状況の中で、高畑監督はもっと普遍的なテーマを持ったアニメーションができるのでは?と探っていました」

出典 : 『この世界の片隅に』片渕須直監督、高畑勲を語る「根本にあるものを問い続ける姿勢、見習いたい」(片渕監督)