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ジブリ

「風立ちぬ」の意味

「風立ちぬ」の意味

ジブリの宮崎駿監督作の長編アニメーション映画として知られる『風立ちぬ』。

映画の主人公は、航空技術者であり、ゼロ戦の設計者として知られる実在した人物の堀越二郎で、その堀越二郎の半生に加え、堀越と同時代人の小説家の堀辰雄が、自身の恋愛体験をもとに書いた『美しい村』『菜穂子』『風立ちぬ』といった小説作品群の中身が盛り込まれ、一つの作品となっています。

言ってみれば、『風立ちぬ』に出てくる堀越二郎は、堀辰雄の人生も混ざっていると言えるでしょう。

宮崎駿監督自身、『風立ちぬ』のフィクション性に関し、「実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている」と語っています。

この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会い別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を超えた彩どりをそえて、完全なフィクションとして1930年代の青春を描く、異色の作品である。

出典 : 『風立ちぬ』企画書

そのため、映画『風立ちぬ』の主人公の堀越二郎は、実在の堀越二郎の人生とは違います。

この辺りはややこしい面もあるのですが、映画のなかで描かれている、結核を患う女性と出会い、婚約するものの死別を経験したのは堀辰雄で、実際の堀越二郎は、別の女性と結婚していて、ジブリ作品の『風立ちぬ』は、必ずしも堀越二郎そのままの伝記映画というわけでもありません。

さて、この映画『風立ちぬ』のタイトルの由来は、先ほど触れた通り、1938年に出版された堀辰雄の小説『風立ちぬ』が出自となっています。

小説『風立ちぬ』は、堀辰雄本人の体験をもとに書かれた5章構成の中編小説で、「私」と、結核を患って死に向かう婚約者の節子が、小説の軸になっています。

美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、重い病に冒されている婚約者に付き添う「私」が、やがてくる愛する者の死を覚悟し見つめながら、2人の限られた日々を「生」を強く意識して共に生きる物語。死者の目を通じて、より一層美しく映える景色を背景に、死と生の意味を問いながら、時間を超越した生と幸福感が確立してゆく過程を描いた作品である。

出典 :『風立ちぬ(小説)』

節子のモデルは、堀辰雄と1934年9月に婚約し、1935年12月に死去した矢野綾子で、映画版『風立ちぬ』の菜穂子のモデルとも言えるでしょう。

小説『風立ちぬ』の題である「風立ちぬ」という言葉は、作中に登場するフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」という言葉に由来します。詩自体は非常に長く、これは最終節の一行目に当たります(ヴァレリーの詩の全文は、【翻訳】詩「LE CIMETIÈRE MARIN(海辺の墓地)」(ヴァレリー)が参考になります)。

この「風立ちぬ、いざ生きめやも」という古文調の一節は、ヴァレリーの詩を堀辰雄自身が翻訳したもので、さらに現代語訳すると、(厳密には後述するように誤訳が指摘されていますが)「風が吹いた。さあ、生きようじゃないか」という意味になります。

語尾についた「ぬ」は、「〜ない」という否定ではなく、古語の完了を示す助動詞で、「風が立った」「風が吹いた」という意味です。

また、「いざ生きめやも」の「いざ」は、「さあ」で、「生き」のあとの「めやも」は実際は強い反語なので、「生きめやも」というのは、「生きようか、いや、生きられないだろう」といった意味合いとなり、これでは、「風が吹いた。さあ、生きようじゃないか」ではなく、「風が吹いた。さあ、生きようか、いや、生きられない、死のう」という、ネガティブなニュアンスになります。

ヴァレリーの詩では、この部分は「生きるように努めなければならない」という意味なので、堀辰雄の誤訳ではないか、という指摘もあります(原文の詩の意味は知っていただろうから、「誤訳」というよりは日本語の古語の「誤用」と言えるかもしれません)。

丸谷 ところで、堀辰雄に『風立ちぬ』という小説があって、その卷頭にヴァレリーの Le vent se lève, il faut tenter de vivre. という詩が引いてあります。それが開巻しばらくしたところで、語り手がその文句を呟く。そこが「風立ちぬ、いざ生きめやも」となっている。「生きめやも」というのは、「生きようか、いや、斷じて生きない、死のう」ということになるわけですね。ところが、ヴァレリーの詩だと「生きようと努めなければならない」というわけですね。つまり、これは結果的には誤訳なんです。「やも」の用法を堀辰雄は知らなかったんでしょう。

大野 僕は学生の頃、あの小説を読んだことがあって、「いざ生きめやも」というのは変な言葉だと思いました。こういう訳をするようでは、堀さんは日本語の古典語の力はあまりなかったと思います。彼は『かげろふの日記』を書いているけれども、原文の肝心なところはきちんと読まないで、なにかの注釈書を頼りに読んで、それでお書きになったと思います。というのは、「いざ生きめやも」と誤訳する程度の力では『かげらふの日記』の原文の細かいところは到底読めないからです。「いざ生きめやも」の訳は仰るとおりまったくの間違いです。

出典 :  大野晋、丸谷才一『日本語で一番大事なもの』

詩の原文は、フランス語で「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」であり、これは英語に翻訳すれば、「The wind rises. We must try to live.」です。

この一節を意味に沿って日本語にしたら、「風が吹いた、我々は生きようとしなければならない」で、「さあ、生きよう、いや、生きられない」というのは、真逆に近い意味となります。

なぜこんな誤訳(誤用)をしたのでしょうか。指摘にある通り、堀辰雄に「古典語の力はあまりなかった」ことが理由なのでしょうか。

堀辰雄は、1923年の関東大震災で母を亡くし、師の芥川龍之介は1927年に自殺、そして、1935年には婚約者の綾子を病気で失っています。それでも、「生きなければならない」という言葉を持ってきた。もしかしたら、「いや、生きられない」という諦念や悲しみも伝えたかったのでしょうか、などと想像もしますが、その辺りは堀辰雄自身にしか分からないことで依然として謎のままとなっています。

小説『風立ちぬ』で、この言葉が登場するのは、作品の冒頭の場面です。

それらの夏の日々、一面にすすきの生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色あかねいろを帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……

そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物をじっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色あいいろが伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。

風立ちぬ、いざ生きめやも。

ふと口をいて出て来たそんな詩句を、私は私にもたれているお前の肩に手をかけながら、口のうちで繰り返していた。それからやっとお前は私を振りほどいて立ち上って行った。まだよく乾いてはいなかったカンヴァスは、その間に、一めんに草の葉をこびつかせてしまっていた。それを再び画架に立て直し、パレット・ナイフでそんな草の葉をりにくそうにしながら、
「まあ! こんなところを、もしお父様にでも見つかったら……」
お前は私の方をふり向いて、なんだか曖昧あいまいな微笑をした。

出典 : 堀辰雄『風立ちぬ』

宮崎駿監督は、最初、この堀辰雄の『風立ちぬ』を下敷きにし、映画版『風立ちぬ』の原作となる漫画を描きます。

宮崎駿『風立ちぬ』

原作漫画は、2009年から2010年にかけ、模型情報誌の『モデルグラフィックス』誌上で描かれ、しかも、登場人物が豚として描写されている作品です。

もともとこの漫画は、宮崎さんが趣味で描いていたもので、映画化する予定はありませんでしたが、プロデューサーの鈴木敏夫さんの勧めで、当初宮崎さんは反対したものの、映画化が決定します。

宮崎作品の映画『風立ちぬ』のキャッチコピーは「生きねば。」で、物語の流れから見ても、少なくともこの作品に関しては、「生きなければならない」という原文通りの意味合いと言えるでしょう。