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ジブリ

『魔女の宅急便』ウルスラの名言と、絵のモデル

『魔女の宅急便』ウルスラの名言と、絵のモデル

『魔女の宅急便』のウルスラとは

キキとジジ

アニメ『魔女の宅急便』は、角野栄子さんの児童文学『魔女の宅急便』が原作で、宮崎駿監督による1989年公開のジブリ映画です。

あらすじ

主人公は、田舎町に住む、魔女の血を受け継ぐ13歳の女の子キキで、「魔女として生きる事を決意した少女は13歳の満月の夜に旅立ち、よその町で1年間の修行をしなければならない」という古くからのしきたりから、黒猫のジジと旅に出ます。

港町コリコに着いたキキは、パン屋さんのグーチョキパン店のおかみおソノさんに気に入られ、店に居候をしながら、やがて宅配業の「魔女の宅急便」を始めます。

地元の少年トンボや、画家のウルスラ、依頼人の老婦人らとの出会いから、箒で飛べなくなったりキキと話せなくなったりする困難と向き合い、大人への一歩を歩んでいく物語です。

この『魔女の宅急便』の重要なキャラクターの一人が、画家のウルスラです。

ウルスラは、赤いタンクトップを着た、快活な女性で、年齢は18歳。夏のあいだ森のなかの小屋で絵を描くことに集中しています。夏の時期に、人里離れた森で暮らす、ということは普段は街に住んでいるのかもしれません。

このウルスラという名前に関しては、作品のなかでは一度も登場しません。名前の由来は不明ですが、聖女のウルスラという人物がかつていたようです。

ウルスラとキキ

キキが始めた魔女の宅急便の初めてのお客さんとして、届ける予定だったプレゼントの黒猫のぬいぐるみを落としてしまったことをきっかけに、ウルスラと出会い、仲良くなります。

その後、キキは、急にジジと話せなくなり、箒で空も飛べなくなるのですが、その際、ウルスラと再会し、ウルスラのロッジで色々と話すことでキキは励まされます。

ウルスラの年齢の設定は、宮崎駿監督案は27歳、鈴木敏夫プロデューサー案はキキと同年代の女の子がいいと考え、話し合いの末、間をとって18歳となります。

ウルスラ役の声優さんは、実はキキと同じく高山みなみさんが担当しています。

高山さんは、もともとはウルスラ役の出演となっていたものの、キキ役が決まらないことから、キキ役のオーディションにも参加し、抜擢されることになったそうです。

ウルスラの名言

ウルスラは、迷っているキキに対する年上のお姉さんや、導き手のような役割があり、映画のなかで、印象深い名言も残しています。

箒で空を飛べなくなってしまったキキ、その話を聞いた絵描きのウルスラは、キキの顔の絵を描きながら、キキと次のような会話をします。

キキ「私、前は何も考えなくても飛べたの。でも、今はどうやって飛べたのか、分からなくなっちゃった」

ウルスラ「そういうときはジタバタするしかないよ。描いて、描いて、描きまくる」

キキ「でも、やっぱり飛べなかったら?」

ウルスラ「描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」

出典 : 宮崎駿『魔女の宅急便』

このウルスラの台詞は、意味としては分かりやすく、素朴なアドバイスかもしれませんが、表現をする人にとっては、いっそう身に染みる深い名言なのではないでしょうか。

特段意識しなくてもできていたことが、突然できなくなる。スランプになる。描けなくなる。そのとき、ウルスラは、「ジタバタするしかない」と言います。

ジタバタして、描いて、描いて、描きまくる。

それでも、やっぱりできないとなったら、と不安になるキキに、「描くのをやめる」とウルスラは言います。

描くことからいったん離れ、「散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない」。このぼんやりと何もしない時間、というのが大切なことで、空っぽにしていると、「そのうちに急に描きたくなる」というわけです。

不安げに「なるかしら?」とさらに尋ねるキキに、「なるさ」と軽やかに、でも確信を持ってウルスラは言います。

夜も、寝る前に二人で話します。ウルスラが、描けなくなったときのことを話し、キキも、魔法について思ったことを話し、キキは元気を取り戻します。

このウルスラの言葉は、画家のウルスラならではの名言であり、もしかしたら宮崎駿監督自身の実体験でもあるのかもしれません。

宮崎監督は、理由もなく、突然絵が描けないスランプの状態になることがあると、高畑監督や鈴木敏夫プロデューサーとの鼎談ていだんのなかで語っています。

宮崎駿「突然、絵が描けなくなるんです。それまでどう描いていたか分からなくなる。そういう経験ってないですか? それは理由なしに突然来るものなんです。説明できないものですよ。」

出典 : 鈴木敏夫『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』

ウルスラの絵のモデル

映画のなかでは、ウルスラの描いた絵も登場します。夜空を駆ける白い馬に、赤い月、シャガールの絵のような雰囲気です。

ウルスラの絵

このウルスラの絵には、モデルがあり、そのモデルというのが、宮崎駿監督の義父が教えていた養護学級の生徒の作品です。

ウルスラについて思い出深いのは、なんといっても彼女が劇中で描いていた絵です。じつはあの絵、宮さんの義父が教えていた養護学級の生徒の作品がもとになっているんです。

出典 : 鈴木敏夫『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』

宮崎駿監督の妻は、アニメーターの大田朱美さんで、朱美さんの父親は、教育者であり版画家でもある大田耕士さんです。

以下が、元ネタとなっている絵で、八戸市立湊中学校の養護学級の生徒が1976年に制作した、『天馬と牛と鳥が夜空をかけていく』というタイトルの版画作品です。

八戸市立湊中学校養護学級生徒(指導:坂本小九郎)『天馬と牛と鳥が夜空をかけていく』《虹の上を飛ぶ船・総集編(2)》

この絵は、青森県立美術館にあり、ジブリの森美術館にもレプリカがあるようです。

以上、ジブリ作品『魔女の宅急便』に登場するウルスラの名言と、絵のモデルでした。