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宮崎駿の兄弟〜ジブリ土産のシュークリームと博報堂〜

宮崎駿の兄弟〜ジブリ土産のシュークリームと博報堂〜

スタジオジブリの宮崎駿監督は、1941年に東京墨田区で生まれ、幼少期は宇都宮に疎開、1950年に再び東京の杉並区に転居します。

幼少期の戦争体験は、宮崎駿監督に深い影を落とし、特に、父親が軍需産業の一角として「宮崎航空機製作所」の工場長を勤め、その時代にしては裕福だったこと。

また、宇都宮大空襲のとき、宮崎監督の家族がトラックで逃げようとした際、「助けて」という近所の人の声が聞こえながら置いていったことが(その人たちも助かったらしいとあとで分かるものの)、記憶に重くのしかかっている、と後年語っています。

宮崎駿監督は、四兄弟の次男坊で、兄が一人、弟が二人います。

普段インタビューなどで兄弟の話をすることはあまりありませんが、宮崎駿監督の兄弟とは一体どんな人たちなのでしょうか。

宮崎家の長男で、宮崎駿監督の兄は、名前を宮崎あらたさんと言い、過去には『宮崎駿の原点 母と子の物語』という本でインタビューにも答えています。

この本は、ノンフィクションライターの大泉実成さんが、過去の宮崎駿監督のインタビューや、お兄さんの宮崎新さんのインタビュー取材などから、母との関係を一つの鍵として宮崎駿監督の人生を読み解いていく、という一冊です。

本のなかで、子供の頃の宮崎監督は、兄の新さんのあとをついていく子供で、『となりのトトロ』のサツキとメイは、「駿と私の形だ」と新さんは語っています。

また、『天空の城ラピュタ』のドーラが母親、ひげのある長男が、このお兄さんをモデルにしているそうです。

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一方、宮崎監督の弟二人は、三男が宮崎裕さん、四男が宮崎至朗さんという名前です。

宮崎裕さんは、宮崎駿監督公認のシュークリーム屋さんをご夫婦で開き、至郎さんは、大手広告代理店の博報堂の元社員さんで、『風の谷のナウシカ』の制作のきっかけにもなっています。

白髭のシュークリーム工房

宮崎駿監督の弟夫婦が営んでいるシュークリーム屋さんは、「白髭のシュークリーム工房」と店名で、東京の世田谷区代田にあります(二店舗目は、吉祥寺にあります)。

このシュークリーム屋さんは、世界で唯一『トトロ』のシュークリームやクッキーやケーキが食べられることでも有名で、有機栽培の小麦や国産のバターなど原材料にこだわり、心を込めて焼き上げているお店です。

可愛らしいトトロたちがお菓子になり、ネームプレートに名前を入れれば、誕生日ケーキにもぴったり。

ジブリファンの友人や、子供の誕生会にもおすすめのスイーツです。

ケーキは、予約販売のみなので、注文する場合は、早めに予約を入れるようにしましょう。

このトトロのクッキーやケーキ、シュークリームは、通販なども行なっていない(ジブリのグッズを販売する通販サイトでも販売されていません)らしく、基本的にはお店に行くことでしか買えないようです。

*現在、ウーバーイーツは対応しています。

その土地ならではのものなので、東京に訪れた際のジブリのお土産としてもよいでしょう。

このお店で、「トトロのシュークリーム」を焼いているパティシエは、謎の白髭のおじいさん。

白髭で頑固、ちょっとお茶目、と言えば宮崎駿監督。と言うことは、焼いているのは、宮崎監督の弟さんでしょうか。

実際に行った人たちの声を聞いても、宮崎監督の弟さんは、監督に顔も声もそっくりのようです。

また、受付のおばさまが素敵で優しい方だった、といった声もあり、口コミも軒並み高評価です。

店内には、ジブリグッズや壁にかかった宮崎駿監督のサインなどもあり、存分にジブリの世界に浸れるようになっています。

>>【東京】こうすればトトロに会える!「白髭のシュークリーム工房」見どころ4選&知っておきたい事前情報まとめ

吉祥寺店では、店舗限定で猫バスの形をしてバタークリームが入ったクッキー「猫バスサンド」を購入できます。

白髭のシュークリーム工房の代表者は、宮崎陽介さん。宮崎駿監督の甥っ子さんのようで、お店のイラストも、この陽介さんが描いているそうです。

博報堂の元社員で「ナウシカ」のきっかけに

もう一人、末の弟の宮崎至朗さんは、もともと博報堂の社員で、ジブリ関連本にも、ときどき名前が登場します。

ジブリがまだジブリになる前のこと、宮崎駿監督の長編アニメ映画『風の谷のナウシカ』制作に関しては、当時博報堂に在籍していた宮崎監督の弟さんがきっかけになっていると言います。

ジブリの名物プロデューサーで、宮崎駿監督、高畑勲監督と盟友の鈴木敏夫さんが記した著書『天才の思考 宮崎駿と高畑勲』によれば、宮崎監督が描いたナウシカの原作漫画が、それほど売れず、映画化ができない、と悩んでいたときのこと。

鈴木さんが相談した和田豊さんという徳間書店の宣伝部長が、博報堂の人間に持ち寄ってみると、その相手が、宮崎至朗さん。

偶然にも、宮崎駿監督の弟だったと言います。

そういった縁もあり、徳間書店が博報堂と組んで映画を作るのは面白い、と当時の博報堂の社長である近藤道生さんも乗り気になります。

そのため、『風の谷のナウシカ』は、制作が徳間書店と博報堂になっています(アニメ製作は、ジブリの前身のトップクラフトです)。

宮さんに「博報堂で映画が作れることになった。至朗さんがいたからだ」と報告すると、「あいつと仕事をするのか」と言って、あんまりそういうことはしない宮崎駿がみんなと食事をしたりしました。

出典 : 鈴木敏夫『天才の思考 宮崎駿と高畑勲』

ちなみに、宮崎駿監督の息子は、宮崎吾朗さんと言いますが、宮崎家の四男の至朗から、「その次」ということで吾郎、というのが名前の由来のようです。

以上、ジブリの宮崎駿監督の兄弟に関するお話でした。