西洋画

ムンクの『叫び』と〈生命のフリーズ〉とは〜意味と解説〜

ムンクの『叫び』と〈生命のフリーズ〉とは〜意味と解説〜

エドヴァルド・ムンクは、1863年に生まれ、1944年に亡くなる、表現主義や象徴主義を代表するノルウェーの画家です。

ムンクは、ノルウェーのロイテンで医師の父のもとに生まれ、まもなく首都のクリスチャニア(現在のオスロ)に移り住みます。

母親は、ムンクがまだ子供の頃、1868年に病気で亡くなり、1877年には姉も死去。この身近な二人の死が、後の画家ムンクの作風に影響を与えています。

その後、王立絵画学校に入学し、展覧会への出品を始めるも評価は厳しく、1889〜1892年にパリ留学を実地。印象派やポスト印象派(参照 : 印象派の画家一覧)、ナビ派の芸術に触れ、その絵画技法を学びます。

エドヴァルド・ムンク『自画像』1882年

パリに滞在してすぐの1889年12月に、父親が突然亡くなり、この死もまた、ムンクに深い悲しみと衝撃を与えます。

当時の日記には、「私は生まれてからずっと死と隣合わせに生きてきた。母の死、姉の死、祖父の死、父の死。自殺して終わる。なぜ生きているのか」と書かれ、自殺さえも考えるようになります。

1890年、ムンクは、「サン=クルー宣言」と呼ばれる画家としての思いを書いたメモを残しています。

もうこれからは、室内画や、本を読んでいる人物、また編み物をしている女などを描いてはならない。息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描くのだ。

出典 : エドヴァルド・ムンク「サン・クルー宣言」

サン=クルーとは、ムンクが一時期住んでいたパリ郊外にある地名です。

1892年には、ドイツのベルリンで個展が開かれるも、新聞などから激しく批判を受け、個展は早々に打ち切られることになります。

ただ、批判の一方で、個展を重ねながら、支持をしてくれる人も着実に増えていきます。

同年、ムンクはベルリンに住むようになり、ベルリン市内を転々とします。

ちょうど、このベルリン時代に、ムンクの代表作として世界的に知られる『叫び』も制作されます。

ムンクの『叫び』は、1893年に制作され、別の年に描かれた作品含め、数種類の『叫び』が存在します。

もっとも代表的な『叫び』が、1893年の油彩画で、オスロ国立美術館に所蔵されています。

エドヴァルド・ムンク『叫び』 1893年

他の種類としては、クレヨン版、パステル版、リトグラフ版、テンペラ版などがあります。

それぞれ微妙に色合いなどは違いますが、別に偽物が横行しているわけではなく、どの作品も本物の『叫び』です。

クレヨン版『叫び』  1893年

パステル版『叫び』 1895年

リトグラフ版『叫び』 1895年

テンペラ版『叫び』 1910年

作品を見ると、橋の上に立っている人物が、両手を頬にくっつけ、絶叫しているような光景が描かれています。

母や姉、そして父の死などの影響も濃く、また、失恋や家系的に精神疾患が遺伝し悪化するのではないかという恐れ(妹も精神疾患という診断を受けている)など、この頃のムンクの不安や孤独といった精神状態を象徴したような作品となっています。

この作品の舞台となっている橋は、オスロに実在し、当時、自殺の名所でもあったようです。

一見、『叫び』は、「登場人物が何かを叫んでいる」ように思えますが、この作品の本当の意味は、ムンク本人の書いた日記の一文を読むと分かります。

実は、『叫び』のなかで叫んでいるのは、この人物ではありません。

ムンクは、1892年1月22日の日記で次のように書いています。

私は二人の友人と一緒に道を歩いていた。日が暮れようとしていた。突然、空が赤くなった。私は立ち止まり、疲れを感じ、柵によりかかった。そのとき見た景色は、青黒いフィヨルドと町並みの上に炎のような血と舌が被さるような感じだった。

友人は気にせず歩いていたが、私は不安に襲われてその場に立ちすくんだ。そして私は自然を通り抜けていく無限の叫び声を聞いた。

エドヴァルド・ムンク(日記)

突如として激しい不安に襲われたムンクは、「自然を通り抜けていく無限の叫び声を聞いた」とあります。

この『叫び』において「叫んでいる」のは、自然や世界のほうであり、登場人物は、その世界の叫びに、耳を塞ぎ、おののいている光景なのです。

世界の叫びに呼応している、と言ってもいいかもしれません。

また、『叫び』のイメージについて綴った文章でも、同じように「叫び声を聞いた」と書いています。

ある夜、私が町を散歩していると、片側に町が見え、その下にフィヨルドがあった。私は疲れていて、病気を感じた。足を止めてフィヨルドのほうに目を向けると、太陽が沈みかかっていて、雲は血のような赤に染まりつつあった。

私は自然を通り抜けていく叫び声を感じた。私は叫び声を聞いたように思えた。私はこの絵で、実際の血のような色の雲を描いた。

その色味は悲鳴(shriek)のようだった。そしてこの絵は「叫び(The Scream)」になった。

出典 : 作品解説 エドヴァルド・ムンク「叫び」

ムンクは、狂気の人と言われ、実際、『叫び』を描いた10年後辺りから、被害妄想などの精神症状が現れるようになり、病院の療養生活も送っています。

この作品も、もしかしたらその兆候がすでに出ていたのかもしれません。

しかし、もしこのことが異常で、ムンク特有のものであるなら、芸術作品として世界的に知られることはなかったでしょう。

むしろ、彼の繊細さゆえに、より真実に近づいたことから生じた経験であり、現象と言えるのではないでしょうか。

もともと考えられていたタイトルも、ドイツ語で「自然の叫び」を意味する『Der Schrei der Natur(The Scream of Nature)』だったようです。

自然が叫び、その叫びを聞いた人間が恐れおののき、全体が叫んでいるように見える、『叫び』とは、狂気の狭間で人間と世界の境界線が溶けていく絵画と言ってもいいかもしれません。

ムンクは、この『叫び』に加え、主に1890年代に描いた『接吻』『吸血鬼』『マドンナ』『灰』といった一連の22の絵画を、〈生命のフリーズ〉と称し、1902年にベルリンで開かれた古典の際に発表します。

この「フリーズ(frieze)」という言葉は、もともと建築に関する用語で、西洋の古典様式建築の天井近くにある壁に配置された帯状の装飾を意味し、〈生命のフリーズ〉の際の「フリーズ」は、「シリーズ」といった意味合いで使われています。

画像 : フリーズ|Wikipedia

この〈生命のフリーズ〉は、人間の「生命」のありさまを示す連作として、ムンクの絵画表現の核の部分と位置付けられています。

独立した作品というより、連作を通して鑑賞することで、「生命」が浮かび上がってくるとムンクは考えたのでしょう。

ムンクはその構想を、次のように説明している。

「私は、それらの絵を並べて見みて、数点のものが内容の点で関連があるのをかんじた。それらのものだけを一緒に並べるとある響きがこだまし、一枚ごとに見たときとは全然異なるものとなった。それはひとつの交響曲になったのである。」

<生命のフリーズ>は、まさにオーケストラの奏でる交響曲のようなもので、それぞれの楽器のパートの演奏がひとつにまとめられた時に初めて、作品として完成するものであった。ムンクは、この交響曲を、時には作曲家として、と時には指揮者として作り上げようとしている。

実際、「私は現在、絵画の連作の制作に没頭しています。多くの私の作品は、それに属するもので…これまで難解であると思われてきた作品も、まとまって見られたならもっと理解しやすくなるとおもいます、愛と死がその主題です。」という手紙を書いている。

出典 : ムンクの装飾プロジェクト

連作〈生命のフリーズ〉の根底にあるもの、それは「愛と死」だと、ムンクは手紙に書いています。

たとえば、その連作の一つが、1897年に制作された『接吻』です。

エドヴァルド・ムンク『接吻』 1897年

薄い明かりが、窓からこぼれる暗い室内で、男女が情熱的なキスをしている絵。二人は、ほとんど暗闇と同化し、また両者の身体も溶け合っているように見えます。

決して華やかでロマンチックな愛というわけではなく、どこか暗さや悲しみも仄見える作品です。

その他、〈生命のフリーズ〉には、『吸血鬼』『灰』『別離』『病室での死』などの作品があり、そのなかには、『叫び』とともに3部作に数えられ、同じ構図で描かれる『絶望』『不安』も入っています。

エドヴァルド・ムンク『不安』 1894年

エドヴァルド・ムンク『絶望』 1894年

冒頭でも触れたように、こうしたムンクの作風は「表現主義」と呼ばれています。

表現主義とは、主にドイツで起こった芸術運動で、感情や精神を、対象の外的な特徴に捉われることなく、そのまま表出する手法を指し、後期印象派の画家であるフィンセント・ファン・ゴッホの影響を強く受けています。

ムンクは、狭義の意味の「ドイツ表現主義」には含まれませんが、表現主義の代表的な画家の一人として挙げられます。

ベルリンの個展で〈生命のフリーズ〉を発表して以降も、生活の安定することがなかったムンクは、あるとき、愛人とのもみ合いからピストルが暴発し、左手の中指を失う怪我を負います。

その後、アルコールに溺れ、1908年には、コペンハーゲンの精神病院に8ヶ月ほど入院。

退院後は、オスロ郊外で暮らし、その頃から、絵画に明るい色彩を用いるなど、作風にも変化が見られるようになります。

ムンク 1933年の写真

心に巣食う不安や孤独と向き合うために絵画が必要だったムンクは、81歳で亡くなるまで制作を続け、生涯で4万点にものぼる作品を残します。

以上、ムンクの『叫び』および〈生命のフリーズ〉の意味と解説でした。