モネ『アルジャントゥイユのひなげし』
クロード・モネ『アルジャントゥイユのひなげし』 1873年
フランス印象派の代表的な画家と言えば、クロード・モネの名前が、一番に挙げられるかもしれません。
モネは、1840年にパリで生まれ、幼い頃にノルマンディー地方のル・アーヴルに移り住み、少年時代の多くを、その地で過ごします。
もともと絵が上手で、学生時代からカリカチュア(風刺画)を描いて地元の文房具兼額縁屋さんに置いてもらって小遣い稼ぎをしていたモネは、18歳の頃に風景画家のブーダンと出会い、戸外の油絵制作を教わります。
その後、1859年にパリに出ると、絵の勉強中に、のちに印象派として一緒に活躍することになる、ルノワールやピサロ、シスレーらと交友を深めます。
モネは、サロンに挑戦するも、なかなか結果が出ず、仲間たちと、サロンからは離れた独立の展示会を1874年に開き、この展示会が、のちに「第一回印象派展」と呼ばれるようになります。
モネの代表作としては、この第一回印象派展に出品し、物議を醸した(印象派の名前の由来にもなっている)『印象・日の出』や、水辺の睡蓮を描いた連作『睡蓮』の他に、『印象・日の出』と同じく第一回印象派展に出品された、『アルジャントゥイユのひなげし(ただ『ひなげし』と呼ばれることもあります)』も挙げられます。
この『アルジャントゥイユのひなげし』は、1873年に描かれ、サイズは50×65cm。現在は、オルセー美術館に所蔵されています。
季節は真夏、穏やかに晴れた日の何気ない日常が描かれ、印象派の絵のなかでも有名な作品の一つと言えるでしょう。
絵が描かれている舞台は、パリの北西に10kmほど離れた、セーヌ川近くの町アルジャントゥイユ(「川のきらめき」という意味)郊外のひなげしの花がたくさん咲いている坂道で、左側に描かれている赤い花々がひなげしです。
また、右下には、親子が描かれ、日傘を持った母親は、モネの妻カミーユがモデル(カミーユは若くして亡くなることになります)。母の隣を追いかける、帽子をかぶった男の子は、息子のジャンがモデルと考えられています。
子どものほうは、手にひなげしの花を持っているように見えます。
左奥にも、親子が描かれているものの、この二人のモデルは定かではなく、別の親子という説もあれば、カミーユとジャンが手前に歩いてきたことを表現している、という説もあるようです。
アルジャントゥイユは、モネが、普仏戦争やパリ・コミューンを避け、1872年に転居してきた場所で、1878年まで住み、モネのもとには、マネやルノワール、シスレーなども絵を描きに訪れます。
モネは、このアルジャントゥイユの地で、170点以上の作品を描いています。
モネの『アルジャントゥイユのひなげし』に関しては、同じ場所、同じ季節が舞台となっている、ルノワールの絵、『草原の坂道(夏の田舎道)』との類似性も指摘されています。
ルノワールが、このモネのひなげしの絵からインスピレーションを得たのでないか、と言われています。
オーギュスト・ルノワール『草原の坂道』 1875年頃
ルノワールの『草原の坂道』は、モネのひなげしと同じく、夏のアルジャントゥイユ郊外の坂道を下りてくる、日傘を差した母親と、幼い娘が描かれています。
また、こちらも同じように、奥にまた別の二人組の人影が描かれている、という共通点も見られます。
ルノワールの作品は、1875年頃に制作された絵なので、モネのひなげしの絵のほうが、1873年と、先に描かれています。
先ほども触れたように、モネは、1874年にナダールのスタジオで開かれた、第一回印象派展に、この『アルジャントゥイユのひなげし』を出品しています。
印象派展では、その作風の斬新さゆえに、批評家に「印象しか描いていない未熟な作品だ」などと批判されます。
今でこそ、印象派と言うと、美術の代表のような扱われ方をしますが、当時は、自分たちで展示会を開くも、厳しい批判に晒され、嘲笑された、無名の若い画家たちの一派に過ぎませんでした。
ちなみに、モネの描いた絵で、アルジャントゥイユが舞台の作品は、先に170点以上と言ったように、この『ひなげし』以外にも多数あり、たとえば、『アルジャントゥイユの橋』 『雪のアルジャントゥイユ』『花咲く堤、アルジャントゥイユ』などがあります。
クロード・モネ『アルジャントゥイユの橋』 1874年
クロード・モネ『雪のアルジャントゥイユ』 1875年
クロード・モネ『花咲く堤、アルジャントゥイユ』 1877年
このアルジャントゥイユという町は、1851年の鉄道開通によって行楽地として賑わい、以降、急速に産業化し、工場も建設され、環境汚染も進みます。
一方で、美しい風景もあり、印象派の画家たちの理想郷でもあったようです。
この『花咲く堤、アルジャントゥイユ』は、モネが当地に滞在していた頃の最後の作品の一点で、手前に赤や白のダリアの花が咲く草むらを、奥に、煙を上げる工場を描き、自然と産業化を対峙するように描いています。