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西洋の画家

画家アルマン・ギヨマンと作品

画家アルマン・ギヨマンと作品

アンドレ・ギヨマン『自画像』 1878年

アルマン・ギヨマンという画家は、印象派の画家の一人として数えられますが、決して知名度の高い画家ではありません。

しかし、セザンヌなどに影響を与え、また、のちにフォビスムと呼ばれる絵画の流派の先駆者として位置付けられるなど、後世に残したものは決して少なくないでしょう。

アルマン・ギヨマン(Armand Guillaumin)は、1841年にフランスのパリで生まれます。

あまり多くの情報は残っていませんが、庶民の家庭の出身であるギヨマンは、学生時代、後の有力な美術収集家ミュレやウータンと出会ったということが伝えられています。また、1856年、15歳のときには、叔父が経営する服飾店で働きながらパリ市内の夜間の写生学校に通学していたようです。

その後、1860年、鉄道会社に転職し、仕事の合間にアカデミー・シュイスで絵画を学び始め、アカデミー・シュイスでは、カミーユ・ピサロやポール・セザンヌと出会い、交友関係を結びます。

このとき出会ったセザンヌやピサロとは、生涯の友人となります。

1863年、落選者展に出品し、この頃、マネを中心に印象派の仲間となる芸術家たちが集って議論を交わすカフェ・ゲルボワに通うようになります。

道路管理局で夜勤の仕事に就きながら、日中に絵を描き続ける、という日々を送っていたようで、ギヨマンについて、友人で一緒に戸外制作を行なったピサロは、「ギヨマンは昼の間に絵を描き、夜は溝のなかで働いている。なんて元気なのだ!」と綴っています。

日中に絵を描き、夜に働き、長生きであったことも考えると、相当活力があったのでしょう。

アルマン・ギヨマンは、1874年、まだ無名の若者たちが開催する小さな展示会、第一回印象派展に参加し、以降、計6回参加と、印象派展の常連メンバーになります。

全部合わせると8回行われた印象派展だけに、そのうち6回に参加しているというのは、地味に多い参加数で、明確な定義はないものの、アルマン・ギヨマンは、「印象派の画家」と言ってまず間違いないでしょう(ただ、印象派に関する本では、あまり触れられることはありません)。

それから、アンデパンダン展や独立派展に出展していくうちに評価が高まり、制作を続けていたものの、あるとき、宝くじに当たり、10万フランを手にすることになります。

この予想外の収入によって、ギヨマンは画業に専念できるようになり、旅行する自由も手に入れたことから、クルーズ渓谷やブルターニュ、フランス南部、オランダなど新しい風景を見出していきます。

謙虚な人柄だったものの、画風には荒々しさがあり、後年の野獣派フォヴィスムに影響を与え、また、ゴッホやシニャックなど、印象派以降の画家たちにも助言を送っています。

晩年は、クローザンに移住し、個展の開催やオランダで制作を続けるも、やがて創作力が激減。

1927年に、生まれた土地であるパリで、86歳という年齢で亡くなり、印象派の画家のなかでは、特に長生きの画家でもあります。

以下、アルマン・ギヨマンの作品になります。

色鮮やかな色彩に加え、主題としては、近代的な光景も描かれますが、総じて風景画が多い、ということが、作品の特徴と言えるでしょう。

アルマン・ギヨマン『イブリーの落陽』(1873年)

アルマン・ギヨマン『ヴァリュベール広場』(1875年)

アルマン・ギヨマン『ロバンソンの散歩』 1878年頃

アルマン・ギヨマン『雪のポンシャロー』 制作年不詳

荒々しさや、色彩の豊かさが、後年の芸術家に影響を与えたということも、納得できる作品の雰囲気となっています。