あかねさす紫野の行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王
〈原文〉
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
〈現代語訳〉
紫草の生えた野を行き、標野を行きながら、(標野の)見張りが見やしないだろうか、いや見てしまうことでしょう。あなたが(あっちへ行きこっちへ行きしながら私に)袖を振るのを。
概要と解説
この「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」という和歌は、現存する日本最古の歌集『万葉集』に収められ、作者は、額田王という飛鳥時代の皇族・歌人の女性です。
現代語訳では、「紫草の生えた野を行き、標野を行きながら、(標野の)見張りが見やしないだろうか、いや見てしまうことでしょう。あなたが(あっちへ行きこっちへ行きしながら私に)袖を振るのを」となります。
この和歌の詞書には、「天皇、蒲生野に遊猟し給ひし時に額田王の作れる歌(大海人皇子が、蒲生野で狩りをしたときに、額田王が詠んだ歌)」とあります。
和歌に出てくる「遊猟」とは、宮廷が行う狩猟の行事で、みんなで野山に出て鹿を狩ったり薬草を集めたりすることです。
冒頭にある「あかねさす」とは、赤い色が差し、照り輝くことから、「日」「昼」「紫」「君」「朝日」などにかかる枕詞です。
標野とは、皇室や貴人が占有し、一般の人々は立ち入りを禁じられた野のことを意味します。
また、最後の「袖振る」というのは、もともと相手の魂を呼び寄せる呪術的な行為だったことに由来し、相手の心を惹きつけることから、「別れを惜しんだり、愛情を示したりする求愛の合図」を意味します。
ざっくり言えば、紫草の生えている野原を、あちらこちらへ行きながら、そんなに袖を振って求愛していると、見張りに見られてしまいますよ、ということが詠まれています。
額田王は、大海人皇子(のちの天武天皇)と結婚し、子供もいたものの、この歌を詠んだときには、大海人皇子と別れ、彼の実兄である天智天皇と恋仲にありました。
この歌は、額田王が、狩のあとの宴会の席で、昔の夫であった大海人皇子に対し、私は今は天智天皇と恋仲にありますが、大海人皇子はまだ私に気があり、袖を振って愛情表現をしている。
そんなにあっちこっちへ行きながら袖を振っていたら、見張りの人に秘めた恋が知られて大変なことなってしまいますよ、ということを詠んだ歌と解釈されています。
一方、この額田王の歌に、大海人皇子は、「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」と返します。
これは、現代語訳すると、「紫草の匂いのように美しいあなたを私が憎いと思うならば、人妻であるのにあなたのことを、私がこんなにも恋焦がれることがありましょうか。」という意味になります。
これらのやりとりは、恋愛に関する歌である「相聞」ではなく、「雑歌」に分類されていることから、恋心を詠んだ歌や、深刻な三角関係の歌というよりは、宴会の席での盛り上がりのための戯れの一環と考えられています。
酒の席で盛り上げようと、額田王が、皮肉混じりの言葉遊びとしてこの和歌を披露し、その歌に大海人皇子が巧みに返した、という背景があるようです。
