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モロッコを旅する太郎丸さんとロバ

モロッコを旅する太郎丸さんとロバ

モロッコをロバと一緒に旅し、その旅の模様をツイッターを通して写真や言葉で発信している日本人の太郎丸さんという方がいます。

太郎丸さんは、京都府出身で、詳しい年齢はわかりませんが、「平成生まれのアラサー」とのこと。高校生の頃にバックパッカーのバイブルとして有名な『深夜特急』を読んだことから放浪の一人旅に憧れ、北海道大学在学中には、ヒッチハイクで日本をまわります。

大学時代のヒッチハイクの思い出について、太郎丸さんは次のように書いています。

大学生のころ、ヒッチハイクばかりしていた。今どき乗せてくれるの?と聞かれることも多いが、10分以内に拾ってくれることの方が多い。とりわけ私は童顔で、心細そうな顔をしているらしく、後で拾ってくれたドライバーからは「かわいそうだから乗せた」とよく言われた。

営業マンや農家、カップル、家族連れ、さまざまな人が乗せてくれた。ご飯をおごってくれたり、家に泊めさせてくれたりした人もいた。青森県ではウニ漁師に拾ってもらい、船で一緒に沖合に出て、新鮮なウニをたらふく食べさせてもらったのはいい思い出だ。

出典 : 原点のヒッチハイク|note

大学卒業後は、北海道の新聞社(北海道新聞)に入社するも、二年で退職。南米や欧州などを、自転車やバスで旅します。

スペインからモロッコに渡った際、太郎丸さんはスペインの巡礼路を歩いたことから歩く旅の自由さを知り(参照 : スペイン巡礼が「歩く自由」を教えてくれた)、モロッコではロバとの出会いがあり、遊牧民にロバの扱い方を教わります。

その後、いったん別の北海道の新聞社(十勝毎日新聞)に復職しますが、再び二年で退職。2022年の2月にイラン、そしてトルコに入り、それからモロッコと、ロバを引き連れた一人旅を行なっています。トルコの相棒はオスのロバで、モロッコの旅のお供はメスのロバ。ロバは現地で買うそうです。

モロッコは、北アフリカの国で、ベルベル文化とアラブ文化、それからヨーロッパ文化が混じり合った国。人口は約3400万人。観光地として有名なのは最大都市カサブランカですが、首都はラバトという街です(参考 : モロッコの首都・ラバトで世界遺産観光を楽しむ1dayトリップ!)。

言語はアラビア語とベルベル語。東はアルジェリア、南はサハラを挟んでモーリタニアに接し、地中海、ジブラルタル海峡を挟んでスペインの南に位置します。

スペインの南端から北アフリカのモロッコまでは、ジブラルタル海峡をフェリーで渡れば一時間ほどで着きます。

ちなみに、ロバの発祥もアフリカで、約5000年前に、野生種の「アフリカノロバ」を飼育し、家畜化したのが起源と考えられています。

さて、太郎丸さんのツイッターでは、一人旅をしながら、日々の風景や相棒のロバの可愛い様子が、動画や写真で公開されます。北海道大学の文学部出身であることに加え、新聞社で働いていたこともあり、文章力も写真も魅力的です。

一緒に旅をしているロバは、眼差しや鳴き声が愛くるしく、あっという間にツイッター上でも人気者となります。

これはトルコで連れていたオスのロバで、名前はソロツベと言い、ソロツベが、メスのロバに振られた際の号泣している様子です(ソロツベという名前は、日本語で「そろそろ名前をつけるべきかなぁ」の略に由来します)。ソロツベの鳴き声が、実際に悲しみの表現なのかどうか、ロバの感情表現は分かりませんが、確かに悲しみで泣いているとしか思えないくらい、その声が胸に染み渡ってきます。

このとき振ったメスのロバも、つぶらな瞳で近づき、思わせぶりな雰囲気を醸しつつ、ぷいっと行ってしまうなど、この二頭のロバの一連のやりとりが、どこか人間的なのが面白い光景です。

一方、こちらはモロッコで買ったメスのロバ(モロッコでロバを購入)で、名前はスーコと言います。スーコが、とても美味しそうにぶどうを食べています。

太郎丸さんによれば、ロバは頑固で、未体験のことを嫌がるらしく、このぶどうのときも、最初は慎重に、それでも一度食べると、うまい、となったのか、みずみずしい音を立てて食べています。

ロバに名付けた、このスーコという名前は、「市場スークで交渉して手に入れたロバ」という意味に由来します。

トルコでもイランでもモロッコでも、ロバに名前をつけるという習慣はなく、理由は、ロバはペットではなく家畜だから、ということのようです。

ロバの値段は、モロッコの場合、子ロバだと4000円ほど。あくまでペットではなく労働力として必要としている存在なので、子ロバのほうが安く、ちゃんと働いてくれる大人のロバのほうが値段は高いそうです。

ただし、トラクターの普及もあって、ロバの数自体はどんどんと減っているとのこと。

他にも、餌として、なにやら道に生えている固そうな草や、色々な果物(ぶどうやメロンなど)を食べている様子も太郎丸さんのアカウントでは発信され、この「食べるロバ」の映像は人気のツイートのシリーズの一つです。

動物が食べている様子というのは、眺めているだけでも不思議と心が落ち着きます。

旅の道中、宿泊は宿に泊まったり、テントを張ったり。テントを張るときは近くの民家に挨拶に行きます。ほとんど外国人の来ないような場所なので、強盗か何かだと警戒されることも多いようですが、誤解が解けると家に招き入れられ、食事を振舞ってもらうこともあります。

その他、村の文房具屋では、日本のツアー会社で14年間働き、廃業後に故郷で文房具屋を営んでいるベルベル人の「ヤスさん」が日本語で話しかけてきたこともあり、人との出会いの様子も数多く発信されています。

また、頻出するキーワードとして、「マカダム」という言葉もあります。

太郎丸さん曰く、「マカダム」とは、モロッコで「村長」を意味するそうで、トルコでいう「ムフタール」だと言います。

モロッコの徒歩旅行は、このマカダムの存在なしでは語れないそうで、旅の道中は、マカダムが声をかけ、護衛のように付き添い、食事や寝床を与えてくれるとのこと。太郎丸さんがときおりアップするマカダムの写真を見ても、多少離れた場所からこちらの様子を伺っています。

挨拶もなく気づいたら尾行が始まっているパターンも多いことから、悪さを企んでいる輩なのかどうかの判断も難しい模様。マカダムからマカダムへリレーのように繋がれるそうで、どうやらこの地の旅人をもてなす一つの文化のようです。

太郎丸さん自身は、もっと自由に徒歩で旅をしたいことから、マカダムに対して色々と複雑な心境を抱いており、このマカダムとの付き合い方が、旅の課題だと以前ツイートしています。

バイクに乗ったおじさんが、「パスポートを見せてくれないか」と声を掛けてきた。そして「今夜はうちに泊まるといい」と。私はピンときて「あなたはマカダムか?」と聞くと、「そうだ」。「マカダム」は、トルコでいう「ムフタール」、つまり村長。モロッコの徒歩旅行は、マカダム抜きには語れない。

マカダムは、護衛というと大げさだが、旅人に付き添って歩き、夜は食事と寝床を与えてくれる。前回、モロッコをロバと旅した時は、マカダムが次から次へと現れ、リレーのバトンのように、私を次のマカダムに引き合わせてくれた。旅人をもてなす中世のようなイスラム世界が、この国には残っている。

ただ、マカダムへの思いは複雑だ。私は基本的に一人で歩きたいし、マカダムがそばにいると、気軽に野糞もできない。それに、こんな個人的な旅に、マカダムの手を煩わせるのが申し訳ないという気持ちもある。前回は喧嘩もした。マカダムとどう付き合っていくかは、今回の旅の大きな課題だと思っている。

出典 : 太郎丸(Twitter) 2022.9.5

マカダムが付き添うようにして歓待する、というのは、田舎の地域で古いイスラムの風習が残っている、ということなのでしょうか、それとも徒歩の旅ゆえのことなのでしょうか。見守りと同時に、よそ者に対する監視の意味合いもあるのかもしれません。

地元の人に、マカダムがストレスなんだと話すと、爆笑され、心配するな、安全を守ってくれているんだ、と言われるようです。

以上のように、太郎丸さんのツイート(Twitter 太郎丸(@taromar_u))は、遠い国の知らない世界に今も確かにある、村の風景や出会い、文化やロバの豊かな特性などが堪能できます。