童謡・唱歌

文部省唱歌の一覧

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文部省唱歌の一覧

文部省唱歌の尋常小学校1年生から6年生までの全120曲(各学年ごとに20曲)の一覧になります。

タイトルや、冒頭の一節を聴いただけでも、続きの歌詞や懐かしいメロディが蘇ってくるような、現在でもよく知られている曲も数多くあります。

第一学年
日の丸の旗 (「ひのまる」)

おきやがりこぼし
人形
ひよこ
かたつむり
牛若丸
夕立
桃太郎
朝顔
池の鯉
親の恩

菊の花

木の葉

紙鳶の歌

花咲爺

第二学年

二宮金次郎
よく学びよく遊べ
雲雀
小馬
田植


蛙と蜘蛛
浦島太郎
案山子
富士山
仁田四郎
紅葉
天皇陛下
時計の歌

梅に鴬
母の心
那須与一

第三学年
春が来た
かがやく光
茶摘
青葉
友だち
汽車

虫のこゑ
村祭
鵯越
日本の国

取入れ
豊臣秀吉
皇后陛下
冬の夜
川中島
おもひやり
港(新編教育唱歌集収録の「みなと」とは別の曲)
かぞへ歌

第四学年
春の小川
桜井のわかれ
ゐなかの四季
靖国神社

藤の花
曽我兄弟
家の紋

漁船
何事も精神
広瀬中佐
たけがり

八幡太郎
村の鍛冶屋
雪合戦
近江八景
つとめてやまず
橘中佐

第五学年
みがかずば
金剛石・水は器
八岐の大蛇
舞へや歌へや
鯉のぼり
運動会の歌
加藤清正

納涼
忍耐
鳥と花
菅公
三才女
日光山
冬景色
入営を送る
水師営の会見
斎藤実盛
朝の歌
大塔宮
卒業生を送る歌

第六学年
明治天皇御製
児島高徳
朧月夜
我は海の子
故郷
出征兵士
蓮池
燈台

開校記念日
同胞すべて六千万
四季の雨
日本海海戰
鎌倉
新年
国産の歌
夜の梅
天照大神
卒業の歌

文部省唱歌とは

唱歌という熟語は、「唱(となえる)」と「歌」を組み合わせた言葉で、「しょうか」と読みます(古くは「しょうが」とも読まれました)。

この言葉自体は古くからある日本語で、平安時代には器楽の譜を声で歌うことを「唱歌する」と言い、室町末期から江戸時代にかけては、短い歌曲の歌詞のことを「唱歌」と呼ぶこともあったようです。

この「唱歌」という言葉が、singingやsongの訳語として用いられるようになり、1872年の学制頒布以来、音楽の教科(現在の「音楽」に相当)の名称や、その教科で扱う楽曲の総称として定着していきます。

こうした流れのなかで、「唱歌」は「学校で歌うもの」という意味合いを強く帯びるようになりました。

明治以降の「唱歌」とはどのようなものだったのでしょうか。『日本唱歌集』によれば、唱歌とは「初等・中等の学校で教科書用に用いられ、日本語で歌われる、主として洋楽系の短い楽曲」とされています。

歌詞は徳性の涵養と情操の陶冶に資するような教訓的・美的な内容を持ち、曲は欧米の民謡・賛美歌・学校唱歌および平易な芸術的声楽曲をもとに、日本人が創作した小歌曲や、少数の日本民謡・わらべうたを含むものを指しています。

唱歌のなかでも、特に文部省唱歌(もんぶしょうしょうか)と呼ばれる楽曲があります。



文部省唱歌とは、明治から昭和にかけて、文部省(現在の文部科学省)が編纂した、尋常小学校・高等小学校などの音楽教科書に掲載された楽曲の総称です。

なお、「文部省唱歌」という名称は、文部省が公式に定めたものではありません。

文部省唱歌の歴史は、1910年の『尋常小学読本唱歌』に始まります。翌年以降、この27曲を含む各学年別の『尋常小学唱歌』(全6巻)が1911年〜1914年にかけて刊行されました。

文部省唱歌はすべて日本人による新作で、1900年代までに翻訳・移入された『蛍の光』や『蝶々』のような唱歌は、文部省唱歌には含まれません。

代表作としては『もみじ』『春の小川』『ふるさと』などが有名で、現在の音楽教科書にも掲載されています。

これらの歌は、冒頭の一節を耳にするだけで、自然とメロディと続きの歌詞が浮かんでくるものも多いのではないでしょうか。

現代の子供たちに向けた音楽教科書でも多くの歌が引き継がれています。

国語学者の金田一春彦は、文部省唱歌について「教室で先生がピアノで伴奏を弾けば、別にタクトを振る人がいなくても声が合う」と述べ、歌いやすい曲が多いことも文部省唱歌の大きな特徴と言えます。

唱歌と童謡の違い

唱歌に似た言葉として「童謡」があります。どちらも広く「子供向けの歌」という点では共通していますが、厳密に言えば意味は異なります。

唱歌は、先述のとおり「唱歌」という教科のために作られた楽曲であり、学校教育用の歌です。教育目的が優先されるため、芸術性は二の次になりがちでした。

一方、童謡は、より芸術性を重視した子供のための歌として、1918年年に創刊された童話・童謡の児童雑誌『赤い鳥』を契機に広まった概念です。

『赤い鳥』を主宰した小説家・児童文学者の鈴木三重吉(漱石門下)は、童謡の理想を「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな児童文学」と語っています。

また、大人の創作物だけでなく、子供たちが歌ってきたわらべ歌や子供自身の作った歌も、童謡に含むものとしていました。

まとめると、唱歌と童謡の違いは次のように整理できます。

唱歌は明治以降の学校教育のために国主導で作られ、主として外国の曲のメロディをもとにした楽曲。対して童謡は、民間主導で芸術性が高く、子供の世界を豊かに描いた歌です。

洋楽に親しんでいなかった日本人が洋楽のリズムや音階に馴染むきっかけを作ったという意味でも、唱歌の果たした役割はとても大きなものでした。

洋子もオレンジ色のフランス語の読本を持って、一人出て行った。一年生の群が輪をつくって、覚えたばかりの外国語の唱歌を唄っている。洋子は急にあどけなく明るむ心で、その歌声のほうへ近づいて行く。

出典 : 川端康成『乙女の港』

作者について

文部省唱歌の作者については、当時、国が作詞者・作曲者に高額な報酬を支払う代わりに、著作権は文部省が所有し、個人名は一切公開しない・本人も口外しないという契約が結ばれていたと言います。

この背景には、特定の個人が際立つのではなく「国が作った歌」という性格を強調する意図があったとも指摘されています。

また、合議制のなかで編纂された楽曲が多く、個人の作者を特定すること自体が難しいという事情もありました。

その後、検定教科書制度へ移行してからは作者名を明示する必要が生じ、判明している場合は記載されるようになりました。



一方で、作者が依然として不詳だったり、根拠が薄かったりする曲も少なくないため、「文部省唱歌」とだけ記載されている教科書も見られます。