クラムボンはかぷかぷわらったよ
童話作家で詩人の宮沢賢治の代表作で、教科書でも習う『やまなし』という短い童話があります。
川の水の底で蟹の子たちが、クラムボンというふしぎな生き物のようなものについて話をしているのですが、子どもの頃に読んだとき、その世界にすうっと吸い込まれていくような感覚だったことが思い出されます。
やまなしのなかでは、いつまでも忘れない「クラムボンがかぷかぷわらったよ」という印象的な表現が出てきます。
二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらっていたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『それならなぜクラムボンはわらったの。』
『知らない。』出典 : 宮沢賢治『やまなし』
水底の蟹が話しているというのでもう幻想的なのに、「クラムボン」という正体の明かされない存在が、「かぷかぷ」という聞いたことのない擬音語で笑っているということがいっそう不思議で、でも、子どもの頃に読んだとき、その「クラムボンがかぷかぷわらう」という表現に、確かな実在感のようなものを覚えたように記憶しています。
明確に正体はわからず、解釈は諸説ありますが、ただ、一般的に言われるように、なんとなく水の泡のようなものなのかなと、「つぶつぶ泡が流れて行く」という表現が続いたり、シャボンやぷかぷかという響きの連想からもイメージします。
この「笑っている」という表現や、魚が現れて、「クラムボンは死んだよ」「殺されたよ」と言ったりということからも、儚い泡であるような感覚も抱きますが、ただ、単に泡というだけでなく、もう少し何かそこに命や移り変わるものの比喩のような意味合いも込められているのかもしれません。
いずれにしても、色々な解釈と想像が広がるふしぎな表現であり、それゆえに魅力的で大人になっても人を惹きつける物語です。
