日本文学

山之口貘『ねずみ』

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詩人の山之口貘(1903 – 1963)による、一匹のねずみのあっけなく無惨な姿が描かれた、『ねずみ』という詩があります。

ねずみ

生死の生をほっぽり出して
ねずみが一匹浮彫みたいに
往来のまんなかにもりあがっていた
まもなくねずみはひらたくなった
いろんな
車輪が
すべって来ては
あいろんみたいにねずみをのした
ねずみはだんだんひらたくなった
ひらたくなるにしたがって
ねずみは
ねずみ一匹の
ねずみでもなければ一匹でもなくなって
その死の影すら消え果てた
ある日 往来に出て見ると
ひらたい物が一枚
陽にたたかれて反っていた

出典 : 山之口貘『鮪に鰯』

通りの死んだねずみが、車の車輪に轢かれ、どんどんとひらたくなっていく。ねずみという存在はかすれ、ついには死の影すらも消え果てた。

するめのようになった、一匹のねずみ。

作中には、このねずみのことを「可哀想だ」と読者に思わせるような情動的な表現もなく、淡々と描かれていることが、逆にその残酷さを際立たせているようにも思える詩です。

この詩は、戦争中の検閲の厳しい時代に発表され、詩人の茨木のり子さんによれば、背景には戦争によって一つの命が軽視されていることへの憤りがあり、そのことを、「ねずみ」の姿に託して表現したものだと言います。

検閲に引っ掛からなかったのは、検閲官が、この「ねずみ」を題材にして書いた詩を戦争に対する風刺とは見抜けず、単なる「ねずみ」の詩だと思ったからのようです。

そのことを、山之口貘さん自身、痛快そうに笑っていたようです。巧みに検閲をすり抜け、風刺を発表する姿勢には、たくましさも感じさせます。

ただ、詩の解釈というのは、読者にひらけているものでもある(自由な解釈への可能性ゆえに、検閲をくぐり抜けられたとも言えるでしょう)と思います。

たとえ反戦詩ということが始まりであったとしても、必ずしもそういった意味合いで取るだけでなく、この『ねずみ』という作品は、より普遍的な、あるいは現代に通ずる、様々な「死」の軽薄さとして捉えることもできるかもしれません。