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日本古典文学

古今和歌集の冬の和歌

古今和歌集の冬の和歌

冬と言えば、どんな印象を抱くでしょうか。暖かい家族団欒の光景か、それとも、一面真っ白い雪景色の美しさや、降っては消える儚い雪の寂しさでしょうか。

日本の情緒を描いた文学に、「和歌」があります。和歌は、短歌だけでなく長歌なども含めた総称だったものの、平安時代以降は主に三一文字で歌われる短歌を指すようになります。

和歌では、昔から春夏秋冬の季節を背景に歌われることも少なくなく、たとえば、平安時代前期に成立した、日本最古の勅撰ちょくせん和歌集(天皇や上皇の命令により編纂された歌集)と言われる古今和歌集では、全20巻、作品数1100首のうち、四季と恋にまつわる和歌が主となっています。

古今和歌集では、春、夏、秋、冬と季節ごとに分けられています。

その古今和歌集の四季に関する和歌のなかで、ここでは「冬歌」から、いくつか選出し、その和歌の現代語訳や使われている言葉の意味、作者などを紹介したいと思います。

和歌

〈原文〉

冬の歌とてよめる
山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば

源宗于みなもとのむねゆき朝臣

〈現代語訳〉

山里は冬が特に寂しくなるのだった。人の訪問もなくなり、草も枯れてしまったと思うと。

作者は、平安時代前期から中期にかけての貴族で歌人の源宗于。この「山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば」は、小倉百人一首にも選ばれている歌です。「山里は」に続く「冬ぞ」の「ぞ」は強調で、他の季節でも山里は寂しいものの、冬は特に、という意味合いになります。「人目」とは、「人の訪問」という意味です。「かれ」は、「枯れ」と「れ」の掛詞です。山里というのは、どの季節も寂しいものの、冬は格別に寂しくなるのだ、人の訪問もなくなり、草も枯れてしまうことを思うと、という冬の寂しさを詠んだ和歌です。

 

〈原文〉

大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける

よみ人知らず

〈現代語訳〉

大空の月の光が冴え冴えと澄んでいるので、月の姿の映ったその水から真っ先に凍っていくのだった。

作者は、よみ人知らず。冬の月と水辺の光景が浮かびます。「光し」の「し」は、強意の助詞。「きよければ」の「きよし」とは、冴えた、冷え冷えと澄んでいる様を意味します。「影」とは、「姿」のこと。「影見し水」で、姿の映っている水。この「水」が、どういった水辺かはわかりませんが、池のことかもしれません。冴え冴えと澄んだ月の光の映った水から、その寒々しい光ゆえに凍っていく、という幻想的な和歌です。

 

〈原文〉

降る雪はかつぞぬらしあしひきの山のたぎつ瀬音まさるなり

よみ人知らず

〈現代語訳〉

降る雪は、降るそばから解けて消えているようだ。山川の激しい流れの音がいよいよ大きく聞こえてくる。

作者は、よみ人知らずです。「かつ」とは、「一方で」という意味です。「あしひきの」は、山に関連する言葉の枕詞。「たぎつ」は、「水が沸き立ち、激しく流れる」の意味。漢字で表記すると、「激つ」となります。「たぎつ瀬」で、川が急流になっている様子を指します。川の激しい流れの音が、いっそう増して聞こえてくるので、きっと雪が降ったそばから解けて消えていってるのだろう、と想像している和歌です。

 

〈原文〉

この川にもみぢ葉流る奥山の雪げの水ぞ今まさるらし

よみ人知らず

〈現代語訳〉

この川に紅葉の葉が流れている。奥深い山では、雪解けの水が今増えているのだろう。

作者は、よみ人知らず。「雪げ」とは、「雪解けの」という意味です。雪解けと言うと、春を連想しますが、この場合は、紅葉の葉が流れているので、冬の初め頃の降ってはすぐに解けて消える雪。この川に紅葉の葉が流れているということは、奥深い山では、雪が降っては解けて水が増えていることだろう、という目の前の光景と想像の世界を詠んだ和歌です。

 

〈原文〉

冬の歌とてよめる
雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける

紀貫之きのつらゆき

〈現代語訳〉

雪が降れば、冬ごもりする草にも木にも、春には知ることのない花(雪化粧)が咲くのだった。

作者は、平安時代前期から中期にかけての貴族で歌人の紀貫之です。紀貫之は、古今和歌集の撰者の一人でもあります。「春に知られぬ花」とは、雪を花に見立てた表現です。雪が降り、草や木にかかった雪化粧によって、春には知られることのない花が咲くのだった、と描写されます。

 

〈原文〉

白雪の降りて積もれる山里は住む人さへや思ひ消ゆらむ

壬生忠岑みぶのただみね

〈現代語訳〉

白雪が降り積もっている山里では、雪が全てを覆い隠すだけでなく、住んでいる人さえも消え入りそうな寂しい思いをしているのだろうか。

作者は、平安時代前期の歌人の壬生忠岑です。古今和歌集の撰者の一人です。白雪が降って積もる山里では、雪があらゆるものを覆い隠すだけでなく、住んでいる人さえも、寂しく沈んだ心持ちになる、という冬の情景を詠んだ和歌です。「思い消ゆ」とは、「深く思い沈む」という意味です。「消ゆ」は、消えるものである「雪」との縁語に当たります。

 

〈原文〉

雪の降りけるをよみける
冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ

清原深養父きよはらのふかやぶ

〈現代語訳〉

冬なのに空から花が降ってくるということは、雲の向こうは春であろうか。

作者は、平安時代中期の歌人の清原深養父です。冬に降る雪を春の花に見立てた表現や、雲の向こうが春ではないかという描き方が、簡素でわかりやすく、かつ幻想的でもあります。「雲のあなた」とは、漢字で表記すると「雲の彼方」で、雲を隔てた、目に見えない彼方、別の世界のことを意味します。冬なのに、花(雪)が降ってくるということは、あの雲の向こうは春なのだろうか、と歌っています。

 

〈原文〉

梅の花に雪の降れるをよめる
花の色は雪にまじりて見えずとも香をだに匂へ人の知るべく

小野篁おののたかむら朝臣

〈現代語訳〉

花の色は雪に混じって見えないとしても、せめて香りだけでも匂っておくれ、どこに花があるか人にわかるように。

作者は、平安時代前期の漢詩人、歌人の小野篁です。遣隋使の小野妹子の子孫としても知られています。歌のなかで「香をだに」とありますが、「だに」とは、「せめて〜だけでも」という意味で、現代語訳すれば、「せめて香りだけでも」となります。梅の花を、色と香りに分け、雪に混じってしまって梅の花の色が見えないとしても、花がどこにあるかわかるように、せめて香りだけでも匂ってほしい、と願う和歌です。詞書ことばがきの「梅の花に雪の降れるをよめる」とは、「梅の咲いている木に雪が降っている様子を見て詠んだ」という意味です。

 

〈原文〉

雪のふりけるを見てよめる
雪降れば木ごとに花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし

紀友則きのとものり

〈現代語訳〉

雪が降ってどの木にも花が咲いているようだ、どの木を梅と見分けて折ることができるだろう。

作者は、平安時代前期の官人で歌人の紀友則です。紀貫之の従兄弟でもあり、古今和歌集の撰者の一人だったものの、完成を見ることなく亡くなります。木ごと、というのは、漢字で表記すると、「木毎」で、「梅」となります。雪が花に見立てられ、雪が降って梅の花が咲いているようなので、梅を見分けて折ることができるだろうか、と表現することによって梅と雪の美しい情景を歌った和歌です。

 

〈原文〉

歌奉れとおほせられしときによみて奉れる
ゆく年の惜しくもあるかなます鏡見る影さへにくれぬと思へば

紀貫之

〈現代語訳〉

ゆく年がしみじみと惜しいなと思う。真澄鏡に映る自分の姿を見ると、年が暮れるだけでなく、自分も老いてしまったと思えるから。

作者は、紀貫之です。ます鏡とは、真澄鏡まそかがみのことで、「よく澄んだ鏡、鏡を褒めて言う言葉」を意味します。年の暮れとともに、自分自身も老いていくことの寂しさを詠んだ和歌です。

概要

古今和歌集の四季の歌のうち、冬の歌はそれほど多くはなく、全部で29首。そのなかで雪の歌が多数を占めています。

雪は、白雪の美しさを、花に見立てて歌われている表現もよく見られます。また、寂しさの象徴として詠まれる歌もあります。

以上、全部ではありませんが、古今和歌集に収録されている冬の和歌の現代語訳や意味でした。

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