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日本古典文学

大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける よみ人知らず

大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける よみ人知らず

〈原文〉

大空おほぞらつきひかりしきよければかげ見し水ぞまづこほりける

〈現代語訳〉

大空の月の光が冴えて冷え冷えと澄んでいるので、その姿が映った水が真っ先に凍るのだった。

概要と解説

古今和歌集といえば、平安時代の歌集で、醍醐天皇の命によって、万葉集に選ばれなかった古き時代の歌から紀貫之や紀友則ら4人の選者に選ばれた和歌が掲載される、日本で最初の勅撰和歌集です。

古今和歌集は、略称として古今集と呼ばれることもありますが、古今和歌集と古今集に違いはありません。

撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒おおしこうちのみつね壬生忠岑みぶのただみねの4人で、編集の中心は仮名序を書いた紀貫之。また、紀貫之の従兄弟である紀友則は、古今和歌集の完成前に亡くなったと考えられています。

古今和歌集の巻数は全部で20巻で、春夏秋冬の四季の歌や恋の歌など、127人の和歌1111首が収められています。

古今和歌集に収められている歌の特徴としては、「雄健でおおらかな万葉集」と比較し、「優美かつ繊細で理知的」と指摘されています。

また、技法としては、「掛け言葉」と「見立て」という二つの手法が際立っている歌集でもあります。

掛け言葉とは、「秋」と「飽き」のように、一つの言葉に二つの意味を持たせることによって、自然と人間を巧みに結びつける表現で、見立てとは、花を雪と見るように、別のものとして捉えてみせる表現となります。

「古今和歌集」の最大の特徴は、「掛詞」と「見立て」という二つの手法が際立っていることです。

「掛詞」は、「秋」と「飽き」、「枯れぬ」と「離れぬ」のように一つの言葉にダブルミーニングをもたせることで、自然と人為を緊密に結び合わせる表現を発達させました。

「見立て」は、花を雪と見たり、紅葉を錦と見たりという風に、あるものを別のものととらえてみる表現手法。

こうした手法によって現実とは異質な「想像の世界」が切り拓かれていきます。いずれも、その後の日本人の感受性の基盤を形作ったともいえるのです。

出典 : 『古今和歌集』100分de名著

さて、その古今和歌集のなかで、冬の歌として分類されている作品に、「大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける」という歌があります。

作者は、「よみ人知らず」となっています。

出てくる言葉の意味自体は、それほど難しいものはありません。以下、一つ一つを細かく見ていきたいと思います。

まず、冒頭の「大空の月の光し」の「し」とは、強意の助詞で、直前の語句を強める働きがあります。

続く「きよければ」とは、漢字で書くと「清ければ」で、「清し」とは、冴えて冷え冷えと澄んだ様子を意味します。

また、「影見し水」という表現の「影」とは、物の姿や光のことです。この和歌で言えば、水に映る月の姿を指します。この「見し」の「し」は、過去の助動詞ですが、いつのことかは分かりません。

月の姿が映った「水」というのも、水たまりなのか、湖なのか、池なのか、どんな水なのかは書かれていませんが、池の水ではないかと考えられています。

全体を現代語訳すれば、「大空の月の光が冷え冷えと澄んでいるので、その光が映った水から、まずは凍るのだった」という意味で、冬の寒々しさや静けさも表現しつつ、とても美しく映像的な和歌となっています。

以上、古今和歌集の冬歌で、よみ人知らずの和歌「大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける」の意味と解説でした。